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2005年2月 エジプト旅行
プロローグ
アエロフロートでカイロへ
カイロ初日その1(このページ)
カイロ初日その2
カイロ初日その3
カイロ2日目その1 ピラミッド巡りサッカーラとダフシュール
カイロ2日目その2 ピラミッド巡り ギザ
カイロ3日目 カイロ市内巡り考古学博物館ほか
モスクワトランジットその1
モスクワトランジットその2

カイロ初日 その1

リコンファームとシタデル

昨日は夜遅かったので朝はゆっくり起きる。初日にしてもう帰路の搭乗3日前なのでまずはリコンファーム。アエロフロートでもリコンファームは不要になっているのだがなぜかインド線とアフリカ線はまだ必要とのことなので、アエロフロートのオフィスに出向く事にする。街を歩くとけたたましいクラクションを鳴らしながら走る車がはるばる中東まで着たことを実感させる。宿から歩いて10分ほどの距離の交通の中心地であるタハリール広場まで行ったのは良かったのだが、カイロの街は道路割りが放射状で碁盤目でなく、この通りを歩いていると思ったら微妙に角度が違い、違う道を歩いていたのような塩梅で道に迷いやすい。気が付いたら曲がりたい角を過ぎて随分歩いてしまった。

地球の歩き方の地図を頼りに行ったのだが、オフィスの印が書いてあるところへ行ってもそれらしきオフィスはない。色んな人に聞いても英語が話せない人だったり分からない人ばかりで埒があかない。あっちこっちウロウロしていると同じようにキョロキョロしている日本人がいたので聞くと彼もアエロフロートのオフィスを探しているという。彼と一緒に更に色々な人に聞いてやっと探し当てたが結局1時間以上無駄にしてしまった。よく見るとオフィスの場所を表していると思った「9」という数字は単に便宜上アエロフロートという単語の後に付いている数字に過ぎず、お店を表す「S」のマークがオフィスの位置を表す記号だった。道理でその「9」の時の周りをいくら探していても見つからないわけだ。今改めてみると常識的に考えてその「9」は場所を表しているのではないと分かるのだが、当時はそう思いこんでいるからそれにしか見えなかった。ついでにその「S」の記号の位置はどっちにせよ間違ってはいたのだが・・・

リコンファーム自体はあっけなく終了。早速観光一ヶ所目として町の南側にあるシタデルまでタクシーで移動。
街頭のシャウルマ(トルコで言うところのドネルケバブ)が中東に来たことを実感させてくれる アエロフロートのオフィスはピンクの外壁のブスタンセンターという商業施設の中。探すのに苦労したので却って思い出に・・・
シタデル外観。土産物屋に「ニーハオ」と声かけられる。 ガーマ・ムハンマド・アリの中庭
ガーマ・ムハンマド・アリの礼拝堂 ガーマ・ムハンマド・アリのミフラーブ
シタデルはサラディーンが対十字軍のために築いた城郭が元になり、ガーマ(エジプト方言でモスクのこと。トルコ語のジャーミィに相当)・ムハンマド・アリと呼ばれるモスクやムハンマドアリ朝時代の宮殿が建っている。高台にあるため、市内からはとても目立つし、ここのテラスからはカイロ市街が見渡せる。特にスモッグの霞の彼方にギザのピラミッドが見えたのには感動してしまった。富士山は遠くからの方がその高さが際だっていることがよく感じられるように、距離が離れていることで、ピラミッドの高さがより強調されて感じられるのだろう。ピラミッドはその建築目的が色々論じられているが、ここから見ると王の権威を目に見える形で表現するために、とにかく高い建築物を造ろうとしたらこうなったというような単なるモニュメントというような感じがした。そんなことを考えながら30分はテラスからの眺めをに楽しんだ。
スモッグの彼方にギザのピラミッドが見える 古い街並みが広がるイスラミックカイロ方面。

モスクと展望台を堪能したあとは敷地内にある軍事博物館へ。金日成がらみの展示もあるとのことだったが、(やる気がないのでメジャーな展示室以外は電気を消して閉鎖してあることもあり)発見できず。近現代の所はナセル以下自由将校団のエジプト革命や開戦当初イスラエルに打撃を与えた第四次中東戦争の展示が大きなスペースを割いていた。当然の事かもしれないがあっさり負けた第三次中東戦争などはスルー(苦笑)。最後は25年近く独裁を続けているホスニー・ムバラク大統領を称える絵で締める。

軍事博物館。由緒ある宮殿の使われ方としてはやや違和感あり。 ムバラク大統領、民衆に幸福をもたらすの図

シタデルを出てその麓に建つガーマ・スルタン・ハサンとガーマ・リファーイーの二つのモスクを見学。ガーマ・リファーイーにはイラン革命で追われた最後のシャー、パーレビ国王の墓がある。イランに行ったとき、パーレビ国王の贅を尽くしたサアダーバード宮殿を見学していただけに、感慨深く冥福を祈ってきた。
ガーマ・スルタン・ハサン(左手)とガーマリファーイー(右手) ガーマス・スルタン・ハサンの中庭
ガーマス・スルタン・ハサンのミフラーブ イランのパーレビ国王の墓。



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