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旅先の人々:バングラデシュ編


旅先の人々、今回は2009年GWに行ったバングラデシュ編です。

バングラデシュは正直、メジャーないわゆる名所旧跡的な観光資源に乏しいこともあって
あまり観光客が訪れない国ですが、そのせいか人々は観光客ズレしておらず、みんな
「いい人」ばかり。街を歩いていると向こうから写真撮れと言ってきたり、話かけてきたり・・・
バングラデシュの最大の見所は彼らバングラデシュ人かもしれません。

パキスタンからの独立を主導したラフマン初代大統領。独立を勝ちとったものの、その後の国政は混乱、結局暗殺されてしまうのですが、建国の父としての位置づけで肖像はよく見かけます。 オールドダッカ港近くの果物市場の人たち
山のように積まれたスイカを扱う人たち ブドウは紙に包まれて大切に扱っていました。
果物市場の西側には穀物商も。韓国で働いていたことがあると言い、韓国語で話しかけてきた。 スターモスクで出会った子供達。ベンガル語対訳が付いた本でアラビア語を勉強していました。
どこの国もそうですが、同業者が軒を連ねています。 ビンロウ屋さん。下に見える葉っぱはくるむキンマの葉
工業製品の部品を扱う商店。左のおじさんのようなスタイルの人はたまに見かけるけどハッジュ(メッカ行ってきましたよ的人)ということなのだろうか。短い滞在ではちょっと分からなかった。 リンゴは中国から入ってくるらしい。紙にくるまれています。新聞を読むオヤジの姿からは知的な雰囲気が伝わってきます。
どこの国もそうですが、子供達はかわいい
ダッカ中心部、バスターミナルの風景 熱心に壁に貼られた新聞を読む人たち
ダッカ駅前でバスの修理をしていた若者 バスは古い日野自動車製でした
ダッカ駅で出会った人 腰布スタイルの男性も多く見かける
食堂のお兄さん。ケースには中東でよく見るグルグルチキン 食堂のオーナー(と思われるオヤジ)。バングラデシュ人、ノリがいいです
果物屋さん。陳列に力が入っています。 路地裏で繁盛していたチャイスタンド
デモ隊に遭遇。何を訴えているのかは分からなかったけど、古典的な絵に描いたようなデモのやり方が新鮮 仲が良い(良すぎる)お二人(笑)
渋滞中のリキシャーにポーズを取ってくれた二人。 基本バングラデシュのお店は狭く深い品揃えな印象。「○○専門店」といったお店が軒を連ねています。
ムスリムスタイルの男性も多く見かけます。 愛想がよい露天商
サイクルリキシャー漕ぎ。観光にはお世話になります。ゆるゆるした速度がバングラデシュのペースに合います 紳士服生地を扱う商店。
かわいかった坊や チャイ屋。歩き疲れた身体に甘いチャイが効きます
歩道橋から周辺を眺めていたら、写真撮ってと言ってきたほほえましいカップル。 飲み物を買った食料品店。
カード屋さん 本屋さん。銀行員になるには・・・のようなハウツー本も売られていました。
玉葱の問屋。しばらく色々聞かれたりこちらから質問したり・・・日本で言う玉葱の問屋を経営するにも、昔の日本の株仲間制度のように店を構える権利が決まっているらしい。 正直珍しい外国人相手に冷やかして、暇つぶしの対象にされている感が無くもないけど、それも望むところ。
バングラデシュ人はみんな人なつっこい 玉葱屋。日本で見るより小粒です。
オールドダッカ、港近くの市場の人々(説明が面倒くさくなってきた(笑)どこも売り物はきれいに並べている(が皮とかのクズやゴミの扱いには無頓着だとかは思ってはいけない) 元々は川を利用して船で商品は運ばれてきたそうだが(なので市場は川辺に立地)今はトラックがメインとのこと。
玉葱、ターメリック、ニンニク、唐辛子を扱う店が多い 市場の人はみないい顔しています
ターメリックは国内からだが、玉葱はインドから来るそう サイクルリキシャー漕ぎ。オールドダッカから中心部へは結構距離有るので、お疲れ様といったところ
オールドダッカの乗り合いワゴン乗り場にて 乗り合いワゴンを待つ人々
インドとかでも見かけるボロボロの古い紙幣を買い取る人だが・・・バラバラになった紙幣を復元しているのはジグソーパズルをしているのかと思った。 誇らしげに子供抱き上げてくれた
歩きながら色々案内してくれた知識階級なおじさんと帰りに乗ったリキシャー漕ぎ。リキシャー漕ぎはおじさんが値段交渉してくれたので、相場でしか行けずややがっかり顔・・・ 雑貨店。お菓子とかシャンプーとかいろいろなものが小袋でバラ買い出来るようになっています。
ホテルのフロント氏 帰りの空港から見た風景。ターミナル拡張工事だと思うのだが、女性が土を掘り、ざるに載せ、画面上方に見える、5メートル先の鉄筋コンクリートの型枠の所に放り投げる作業を延々とやっていた。正直重機を使えばあっと言う間に終わるような作業を、炎天下で、労働に向かない格好で、非人間的な作業をそのペースでやっていたら何年もかかるんじゃと思うようなペースでやっていました。

勿論途上国では作業内容云々より、どんな形でも雇用を創出して「食べさせる」ことが先決だと言うことは理解しています。そのためにはあえて機械化しないというのも賢明な選択だと思うし、それ以前にやろうと思っていてもこちらの方が安く上がる、これしか選択肢がないと言うこともあるでしょう。

でも、その過酷な労働環境での重労働に、気の毒という感情を持ってはいけないのだろうけど、なんかそういう風に思わざるを得ない光景でした。


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