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2006年正月 中国旅行その4 北京散策、帰国

最終日も北京散策
北京に戻ってきてしまえば後は14:50の飛行機に間に合ってそれが無事飛んでくれれば良いので気楽である。さらには今回はあそこも見なくちゃと言う「使命感」みたいなのにもとらわれることはない。そこでゆっくり起きて、朝食をとって北京に生活している人が散歩するようなペースでのんびり北京の町を散策することにした。


朝食に豆腐脳を食す。経験上、地元の人の出入りの多い朝食店は美味しい。まじめに商売している証拠なので汚ければなお良し。 ぶらぶら歩いていると胡同の中に突然市場が現れる
大きな屋根の下に野菜、果物類、周囲にパン屋から文具店までが並ぶ 長芋・・・
文具店。春節を迎える対連やお年玉をいれる紅包袋などがただでさえカラフルな店頭に彩りを添える 魚屋。生きたまま売る淡水魚はともかく海の魚はあんまり新鮮に感じない

大柵欄の裏の一帯を主に歩いたが物売りや廃品回収屋が調子をつけた呼び声で触れ回っているのを聞くと今が21世紀であることを忘れさせてくれる。今回は1934年の地図も持参してみたのだが、当時と今目の前の胡同を比較すると面白い。勿論炭児胡同、取灯胡同、大耳胡同など大部分の胡同の名前も昔のまま。実際の町歩きに必要なのは北京到着時にバスを降りたところにある図書大厦で購入した新編「北京生活地図冊」。余程細かい通路クラスを除けばたいていの胡同はカバーしてくれているので胡同歩きには必携だ。

益順○商○とうっすら店名が残る門構え 炭児胡同のあたりの胡同をぶらつく
大柵欄の方へ足を伸ばす 前門〜大柵欄のエリアには清末〜民国時代に立てられた老舗商店の洋館も良い味出しています
大柵欄の洋館 前門清真寺。立派な門の裏に礼拝堂があるものの見た目は普通の中国の建物。保護のためかトタンの覆い付き
豪快に店外に吊されて売られている香腸(中国ソーセージ) 曲がりくねった路地がいい味を演出

前門の裏を歩いていたら灰色の瓦の民家が並ぶなか突如緑の瓦の立派な門の前門清真寺という名のモスクが現れた。入ってみると中の礼拝堂には入れてもらえなかったが回族っぽい白い帽子をかぶったおじいさんと色々話をした(実際はこっちの方が逆取材を受けた感じだったが)。あんまり敬虔そうには見えなかったが(失礼!)、巡礼に行くということは想像できないものの、ラマダン(断食節)とかはちゃんとやっているんだそうである。周囲にムスリムが多い西域ならともかく、肉と言えば豚肉を指し、ラマダンといえどもそんな配慮は一切なさそうな漢族地域でムスリムで有り続けるのは大変なんだろうなと想像。北京は漢族地域の中では歴史的経緯と首都という社会的立場からムスリムが比較的多い町ではあるのだけども。

再び胡同を興味に任せて適当に歩く。余家胡同を歩いていると野次馬の人だかりがしていて一人のオヤジが叫びながら包丁を振りかざしている。なにやらトラブルがあったようだが居民委員会の腕章を巻いたおばあさんが説得にあたったりしていたが民警(下級レベルの警察)が自転車でやってくる所など、北京の庶民の風俗を描いた映画に出てきそうな光景だ。


赤いチョッキを着たオヤジが包丁を持ってなにやら叫んでいる。野次馬はややうんざりした様子・・・ 何が良いのか聞かれると困るのだがこういうなんの変哲もない胡同が醸し出す雰囲気が好きなので、何時間歩いていても飽きない
胡同の由来を書いた説明も。写真は大耳胡同 双六に興じる子供たち
北京の街並みにもお別れ 宿泊した遠東賓館本館

そんな光景や胡同の雰囲気を堪能しているうちに正午のチェックアウトタイムが迫ってきた。早足で遠東賓館に戻り一旦チェックアウト。この時点で結構時間的には空港に向かうにちょうど良い時間なのに、一旦荷物を預け名残を惜しんでこの滞在中何度も通った陝西巷などの路地をブラブラし、食品店を冷やかしたり、お茶屋さんで茶葉を仕入れてから空港に向かった。一年前も同じようにギリギリまで町歩きをしたが、泊まったのが空港に近い町の北側だったので、焦った割には空港に早く着いた。今回は余裕を持った割に泊まったのが南側で距離が遠いのと、中心部を通り信号待ちがかなり多かった分逆に時間的には結構ギリギリで本当に焦った。(さらにはチェックイン後も食事なんかしたことと出国審査場が混雑していたこともあって、搭乗口まで走らされる。)

帰りの便もさすがに行きほどガラガラではないもののかなり空席が目立つ。現にギリギリにチェックインしたにもかかわらず、希望通り窓際が取れた。まずい機内食を食べ、ソウル上空を通過したことを確認するとあっという間に成田に着く感じだ。胡同に流れる時間から現実生活に引き戻されるまであまりにスムーズ過ぎて適応出来ないまま2006年正月の休みを終えた。

(空港に向かうタクシーの車窓から)北京の集合住宅も社会主義的無機質なものに替え洒落た外観のものも登場してきた。


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