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2006年正月 中国旅行その3 哈爾浜

哈爾浜へ汽車旅

本当は夕食を食べたかったのだが、昼食べたダックの脂がもたれたのか、はたまた疲労か、全く食欲がない。宿のベッドで休んでタクシーで北京駅へ向かう。駅に着くと哈爾浜へ向かう特快17次列車の改札は既に始まっていて、そのまま指定された車両へ向かう。放送で寝台に空席がある旨言っていたがその通り結構空いていて3段向かい合わせの6人分のスペースの内の4人分しか埋まっていなかった。


北京駅待合室。改札はその先だが既に哈爾浜へ向かう乗客の大半は車内へ 改札口に掲げられていた案内板。
青白赤に塗られた近頃の中国では標準的な車両に乗り込む
硬臥寝台。新しい車両で気持ちが良い 車内の様子。上段の乗客は居場所がないので窓辺の椅子に

21:05静かに北京駅を出発した列車はすぐ民家が少なく明かりも見えないような地帯を走行。この列車は天津などの大都市はショートカットしてパスする。食堂車の営業案内の放送が流れたり周囲の乗客がカップラーメンをすすったりするものだからものが食べたい衝動が起こったが、体全体が欲しているのに胃だけが受け付けない不思議な状態で結局食事はしなかった。22:30に消灯され真っ暗になるとすぐに眠りに落ちてしまった。

気がつくと既に明るくなってきて、雪景色の荒野を走っている。森が広がっては畑が現れ民家の集まりが出現といった風景が続くが、窓ガラスの霜が凍り付いているのが余計寒そうに見える。やがて東から日が昇ってきたがこれぞ満州の大地に昇る日の出というような感じで、見とれてしまった。

そうこうしているうちに哈爾浜駅には定刻より10分ほど遅れた9:00に到着。哈爾浜駅と言えば伊藤博文が安重根に暗殺された現場として有名。駅舎に面した1番線で時刻的にもこの9時頃、閲兵中に銃撃されたらしいのだが、その1番線に到着。但し現場がどこだかは今一分からない。到着前の車内放送で気温は零下25度と言っていたが、なるほど身が引き締まるほど寒い。但し覚悟していた範囲でやや安心した。
氷結した川を渡る 満州の大地に日が昇る
車内の様子。家族連れが多い 哈爾浜駅1番ホームに到着
伊藤博文暗殺現場はこの辺かなと思いを巡らす 哈爾浜駅駅舎
駅前からロシア式のドームを載せた建物が出迎えてくれる 黒竜江省博物館。寒さを避けて逃げ込んだ。

駅前からロシア式の建物が並ぶ。雪が降っていると言うより、目の前の空気の水蒸気が凍るような錯覚を覚えるような小雪がちらつくが、これが地面に降ると踏みしめられても解けず、慣れない私は足を取られる。おっかなびっくり駅前の坂を上ると、黒竜江省博物館があった。寒さはたいしたことないなと最初はやせ我慢していたが、やはり暖かい所に入りたくなり、(もともと参観するつもりでも有ったため)逃げ込んだ。展示はたいしたことなかったので、ざっと流したあとは防寒態勢を整えて再び外へ。しばらくぶらついた後はデパートを冷やかす。


ソ連軍参戦記念碑。

寒さを避ける意味も有るのだろう、地下街が発達。さすがに地上よりも人通りは多い。余談だがmustafaが初めて中国語を大学の第二外国語の授業で習ったとき、使っていた教科書で哈爾浜の地下商店街とか寒中水泳、氷灯祭りのことが紹介されていた。最初に使った教科書は印象に残るものであり、いわばトラウマのようになってしまっている。今回はそういうトラウマを確認する旅でも有る。

バスに乗り、線路を挟んだ反対側に向かう。スターリン(!)公園の防洪記念碑の前から松花江に降りれるようになっている。松花江は前から見て見たかったところ。私の本名は「松」で始まるのだが、中国語で電話などで漢字を説明するとき。「松花江的”松”」と言うことにしていることもあって思い入れの有る川だからだ。しかし川を見ようと立ちつくすと、対岸の太陽島へ馬そりに乗って渡らないかと盛んに客引きに声をかけられる。いかねぇよ!俺は松花江を見に来たんだ!と振り切ろうとした弾みで氷に滑って見事にコケた。腰を強打しただけでなく、ねじった形となり歩くのにも影響が。ここは吹きさらしで寒風が容赦なく吹き付けてくることも有って早々に退散。

ここからロシアがキタイスカヤ通りと名付けたメインストリートを歩く。名は中央大街と変えたものの、石畳と当時の建物が残り当時に思いを馳せる事が出来る。ここで昼食にロシア料理を出すカフェに入った。ボルシチ、ロールキャベツとピロシキを食べた。それぞれ美味しかったものの、ロールキャベツのスープはボルシチと同じ味、その中身はピロシキと同じとやや選択を誤ったかもしれない。

中央大街をしばらくブラブラしたあと、氷灯祭りの会場である兆麟公園があったので入ってみる。氷灯祭りということで40元という驚異的な入場料金を払って入場。本来夜、氷像の中に仕組まれた蛍光灯の灯りが付いたのを観賞するものなので、昼間見てもそれほど感動しない。まぁ昼間に花火を観賞しようと言うがごとしなので、まぁそれは仕方がない。氷でいろんな形を作って有るのを見て、ご苦労様でしたというしかない。兆麟公園は四方をビルに囲まれたそれほど大きくない公園なのだが、この程度の規模の公園で開催される氷灯祭りが中国中にその名をとどろかすのが理解できない程、想像していたよりも遙かにあっさり見終わってしまった。

この辺でデジカメが上手く作動しなくなった。交換した電池がすぐに消耗してしまう。低温で電池の性能が低下してしまったようで、身体で温めると復活するのだが何枚か撮るとすぐ撮れなくなってしまう。



氷結した松花江。いやここは風が強くて寒かった。寒中水泳はこの川に氷をくりぬいて作るプールで行われるそうだが、殺人的で想像すらしたくない・・・ ロシア占拠時代キタイスカヤ通りと言われた現中央大街
中央大街 ボルシチ。料理の味的には日本で食べる方が美味しかったのかもしれないが、寒い風土で食べると非常に美味しく感じられた。
兆麟公園の氷灯祭り会場の氷像。中に色つきの蛍光灯が入っていて、夜来れば印象はかなり違うものとは想像する 西安の大雁塔。西遊記のテーマを氷像でたどっている所などはさすが中国
こんなのまで氷で作ります。でもやっぱり来るなら夜来るべきだった 中央大街へ戻る

再び中央大街周辺をブラブラ。おおーロシア正教!といった感じの聖ソフィア寺院や往年のいかにも「らしい」銀行建築などを眺めてもう満足。

中国光大銀行の支店は元○○銀行の支店と思われるが(情報求む!)、列柱が並ぶ堂々とした銀行らしい建物 中国銀行の建物は元香港上海銀行。
聖ソフィア寺院。これぞロシア正教!といった趣。 残念ながら本来の教会としての使われ方ではなく、往事の写真の展示場となっているが、建物が保存されるなら仕方がないか

やがて日が暮れてきた。まだ時間的な余裕はあったが空港へタクシーへ向かう。これが結構遠かったが、飛行機に乗ってしまえばあっという間に北京着。哈爾浜を歩き回っているときは耳がちぎれそうに感じたこと、デジカメの電池が参ったこと以外は意外と寒くなくへっちゃらと思ったものだが、北京へ戻って来て北京が暖かく感じたくらいやはり哈爾浜はそれだけ寒かったと言うことに気がつく。北京もマイナス8度と決して暖かかった訳ではなかったのだが・・・

宿に戻ると4人ドミには三人組の韓国人旅行者が入っていた。仕方がないが1-3という組み合わせはちょっと居心地が悪い



北京に帰ってくるとやはり落ち着く


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