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2006年GW 中国・福建省旅行

土楼観光(初渓村)

初渓村へ

朝起きて窓の外を見てまたベッドに戻ろうとしたとき、よろめいて結構体重がかかった形でベッドに手をついた。するとバキッという嫌な音がした。見ると、手をついた所に昨晩寝るときに取った眼鏡が置いてあって、見事にレンズが左側の弦の根元で割れてしまった。縁なし眼鏡だったのでこれは致命的。片方の弦と鼻にあたる部分で何とかかけることは出来るが、そうしたところでつけて歩くことは出来ない。何ともついていないがこれが今回の旅行の行動意欲をかなり減退させてしまう要因となってしまった。

と初っぱなから出鼻をくじかれた格好になってしまったが、まずは宿泊した環興楼(と呼ぶと朝になって初めてわかった)を歩き回る。この円楼、入り口の所に説明が書いてあって読むと円楼としては結構古く1550年に建てられという。4層の円楼で中庭に祖堂(但し粗末な祭壇があるだけ)を配し、祖堂の周囲を豚の飼育小屋がなどが囲む。百人近くがここを住居にしているそうだが、結局この円楼が今回の旅行で見た円楼の中では一番生活感があった気がする。

部屋の前から見ると大勢の人数が生活しているにもかかわらず、どの部屋も中庭に面している上、一つの世界を形成しているためか、普通の一戸建ての吹き抜けをのぞき込むような落ち着きがある。近代集合住宅がやもすると死角があって住んでいても孤独感があるのような感覚を覚えるのに対して、このような構造は居心地がよさそうだ。こういう円筒形の構造物で且つ各戸の日当たりを平等にするために定期的に少しずつ回転するようなアパートは出来ないものかなんて想像してしまった。
泊まった部屋の前の回廊から円楼の内側を見る 外壁は土壁だが内部は木製
一階から。木目と赤い対聯、張り紙との対比が鮮やか 中庭の祖堂
中庭の主役の豚ちゃん 円楼の入り口には説明やお祭りに際しての寄付金明細などが張られており興味深かかった。
階段周りの窓の部分。窓以外の土壁は1メートルくらいとかなり厚い この部分を外から見るとこんな感じ。このように土楼の門にはその楼のなめに因んだ対聯が設置されている。(対聯が先?)

環興楼外観。



そんな環興楼を楽しんだあと、荷物をまとめて道路を挟んだ対面の悦円飯店のフロントに行ってチェックアウト。勿論昨日からさんざんセールスしてきた宿の奥さんが手ぐすね引いて今日の計画を聞いてくる。昨日聞いたところでは土楼が並んでいる光景が有名な初渓村へは、タクシーチャーターなら220元、バイクタクシーなら150元という事だった。しかもこの奥さん、バイクタクシーは雨だと大変だし道も悪いとしきりにバイクタクシーではなく車のタクシーのチャーターを薦めてくる。確かにバイクの後ろにしがみついての長時間の移動(この環興楼からは以外に遠く片道1時間近くかかる)や今日は曇り空だが、昨日の雨のことを思うとバイクタクシーに乗り続けることに不安は有ったが、220元が高く感じられたことと雨は午後に多く降るという情報を元にバイクタクシーをチャーターすることにした。

いかにも金儲けは下手そうな朴訥とした感じの年齢不詳のおじさん?が運転するバイクの後ろにまたがり、いざ出発。最初はこわごわしっかりつかまっていたが、意外にもスピードも出さず道も良いので景色を見る余裕が出てきた。川沿いの耕地は田んぼか主に煙草が植えられた畑、山の斜面には茶畑と時折お墓が見える。
お世話になったバイクタクシーの運転手。慎重な運転が却ってありがたかった。 煙草畑が平地には広がる
土楼と同じ材質で作られた煙草を乾燥させる納屋 この地方はお墓が斜面に石室を埋め込んだ形なのがおもしろい
下洋の街並み。 壁面に漆喰を使った白い方楼も存在
華北の乾いた大地の大寨と湿潤な福建では農業も全く違うだろうが、土楼の壁面に大書された「農業学大寨」の標語。段々畑を作ろうという精神なら棚田を作る時応用可能か。 気が遠くなるほどの段数を積み重ねた棚田
一山走って隣村に出て、更に小規模な集落をいくつか抜けると規模の大きい街道に出た。そこを南下すると下洋の町が現れる。下洋から再び農村地帯を走る。この辺はきちんと観光化されているわけではないが、円楼、方楼が点在しているのでただ通るだけでも結構楽しい。。かなり走って棚田が美しい峠を越えると初渓村に着いた。が、到着とほぼ時を同じくして雨が降ってきた。ケチってバイクタクシーにしたことをちょっと後悔。


入域料50元を払いカッパを着て入場ゲートの脇からまずは村を見下ろす展望台へ向かう(展望台への道は手前のゲート脇と奥の土楼に近い方があるが上りは手前の方が勾配がきつくなくオススメ)。この風景は良く紹介されるが、なるほど絵になる。腰掛けてしばらく見入ってしまった。

初渓村の展望台からの眺め。手前の四つの土楼は手前から餘慶楼、庚慶楼、集慶楼(大きな円楼)、縄慶楼とこの村の土楼にはみな「警」の字がついている


庚慶楼を下から見る 庚慶楼の内部
集慶楼の内部。特徴の多数の階段が見える
展望台を降りて土楼の内部を見学。まず庚慶楼に入ってみた。ここは3階建てと環興楼よりはやや小振りな円楼。上手く表現できないが、この規模だと集合住宅と言うよりは巨大な家のような感覚を覚える。そのせいか観光客として人様の生活を覗いている感じでやや居心地が悪い。

次に集慶楼へ。ここは客家民俗博物館となっており、各部屋が展示室になっている。そのため生活が失われたほぼ「死んだ」土楼となってしまっているが、保存のためには仕方がないだろう。この辺土楼観光の難しいところで、生活感があふれすぎては「覗き」の感が免れないし、かといって整備されすぎていてはわがままな観光客の立場からすれば面白くない。話がそれたがこの集慶楼は単元式土楼(=一般の土楼が共有の階段を配し各階の廊下に各部屋が面しているのに対し、各部屋ごとに階段を配して隣の部屋には行けないようになっている、いわば一つの家がくっついている形の土楼のこと)なはずだが、一階には多くの階段があるものの上の階には廊下があり単元式の意味がなかった。博物館化したとき改修されたのかは定かではないけど・・・


次に集慶楼の隣の方楼の縄慶楼に入ったが、ここは中には入れたがなぜか二階以上に行こうとしたら入り口の所にいた老人に怒られた。普通話でない言葉で言われたこともあって良くは分からないのだが、みんなそうならともかく、明らかに観光客な他の人が行っているにも関わらず、とにかく上へ上がってはいけないそうだ。なんだか感じが悪いので一回りしてすぐ出てきた。(別に入場料払えとかそう言うことを言いたかったならじいさんスマン)

手前の四つの土楼の他、坂を登ると他にも土楼は有るのだが、雨が降っていて行動意欲が減退(雨には弱いんですよ、私は)、ちょっと散策して。初渓村をあとにすることにした。

土楼でない普通の民家はこんな感じ 馬祖を祀った天后廟も発見
下洋の温泉街。「温泉浴室」との掲示があるが、ちょっぴり怪しい雰囲気も 目の前の便器が身もふたもないが、温泉の湯船。ご覧の通りダブル型

初渓村を出ようと待たせておいたバイクタクシーの運転手と落ち合ったあたりで、ラッキーなことに雨が上がった。

来た道を引き返したが途中の下洋には温泉が出ると言うことなので、バイクタクシーをチャーターするときに寄り道し温泉に入る事をお願いしていた。下洋の町の南はずれに温泉の看板を掲げた建物が集まっているが、いささか怪しい臭いがする。案の定二階のロビーに通されるとなにか言いたげな店主に「小姐18-20才」と紙に書かれて示される。丁重にお断りして風呂だけに入りたい旨言うと、狭くて窓がない部屋が30元、広くて窓がある部屋が50元との提示を受ける。高いことは承知の上だったが、この際気持ちよく入りたかったので50元の風呂にした。風呂の手前にはダブルベッドがありハート型の鏡台なんかがあって、要するに温泉にはいると言うよりそっち方面が主なのかもしれない。従の形のお風呂もダブルサイズ・・・

お湯は温泉と言うことは言われなければ分からない無色透明の普通のお湯だったが、ややぬるいものの気持ち良い。土楼はトイレもないくらいだから当然シャワーもない(別棟に用意されてはいるが)ので、その分もと思ってのんびり湯船たっぷりのお湯に浸かれる喜びを思う存分楽しんだ。風呂上がりに出されたお茶がまた最高。一息つけてバイクタクシーにまたがり悦円飯店に戻った。都合5時間チャーターした形となったが。幸いバイクに乗っている間に雨に降られることはなかった。雨に濡れて宿に帰ると、だからタクシーを雇えと言ったでしょと言われそうだったが、なんとか面子を保つことが出来た。


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