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2006年GW 中国・福建省旅行

土楼観光(永定土楼民俗文化村)

永定土楼民俗文化村

悦円飯店で遅い昼食を取る。野菜がメイン(=安い)だけど、一人10元で両菜一湯(スープとおかず二品のセットメニュー)が食べられるのはうれしい。都合の良いことに、悦円飯店は有名な土楼が集まっている洪坑村の永定土楼民俗文化村の門前町とでも言うべき、文化村のゲートの前に並んでいる10軒くらいの食堂兼ホテルの中の一軒という場所に位置している。昼食のあとは文化村を見学することにした。

ここは土楼観光の代表的なスポットなので、大型観光バスなども乗り付ける。日本からの観光客も多いのか日本語の看板も見かけた。そんな文化村に入場料50元を払って文化村へ入る。入場料は昨今の中国の旅行分野限定のハイパーインフレを反映して高いけれども、一箇所ごと20元とか取られるよりかは、まとめて徴収されたほうがマイナーな土楼へも躊躇なく踏み入れられることが出来るのでいいのかもしれない。

まず一番手前の方楼の慶成楼に入る。ここは初渓村の集慶楼同様博物館となっているが、展示自体はたいしたことはない。この土楼は門構えからしても比較的新しそうで、土壁もしっかりしている。中庭に色々立て込んでなく、採光や通風が優れているせいか私がみた土楼のなかでは現在的観点から見た居住性では一番良さそうな気がした。

慶成楼外観 慶成楼内部

次に有名な円楼の振成楼へ入る。ここは二十世紀に入ってからの建築で祖廟は洋式の柱で支えられたいわゆる中体西用の土楼でそれはそれで興味深いのだが、一階は完全なみやげ物アーケードと化していて、中国人団体客が嵐のようにやってくる上、この楼に宿泊している人以外は上の階には登れないのでややがっかり。但しその分(テーマパークのように)一番整備してある土楼であることは確かだ。

振成楼外観
慶成楼から見た振成楼 振成楼外観。窓割りが整っているせいか、きれいにみえます
円楼テーマパークへようこそ 延焼防止のいわば防火壁があるのもここの特徴
祖堂はかなり洋館の要素も入っています

次に川沿いを進む。文化村といっても元々は普通(土楼があることが普通かどうかはともかく)の農村だったところを歩きやすく歩道を整備したような場所。それゆえ周囲ののんびりさとわさわさ行き交う観光客との組み合わせがいかにもミスマッチ。但し奥に行くほど、メインルートからはずれるほど人が少なくなり、静かになるのには救われた。(振成楼だけ見て満足して帰ってしまう団体客が多いのだろうか)
奥の方まで行き、奎聚楼という方楼(中の祖堂が立派)や方楼の元となった五鳳楼という形式の土楼の福裕楼などを見学。永定土楼民俗文化村の特長はこういった各種の様式の建築を一度に見ることが出来る点であろう。五鳳楼は方楼などの元になった様式と言われているが、言われてみれば確かに北京の四合院といった北方の民家の様式の発展系かつ方楼への橋渡しのような印象をもった。

福裕楼も宿泊施設として”営業”しており、部屋を覗いたが昨日泊まった環興楼の部屋と比べれば随分快適そう(整っている分普通の宿とあまり差は感じないかもしれないが)な部屋だった。
奎聚楼入り口 奎聚楼の土壁。かなり堅強そうだが、浸食した部分の補修など手入れも必要そうな印象を持つ。
奎聚楼中庭の祖堂 奎聚楼の中庭の建物はそれだけで四合院が一個入ってしまうかと思うような感じ
福裕楼外観
方楼の光裕楼 五鳳楼様式の福裕楼。川に面し側は低く、背後の山に合わせて後ろに行くに従って高くなる構造
福裕楼祖堂。結構がらんとした祖堂の土楼が多いなかここの装飾などは派手さはないけど目立たない所にも金かけていますと行った感じ 福裕楼の一番高い主楼から見下ろしたところ
福裕楼の一階部分の装飾 果物売りに来ていた女性。・客家女性独特のおかっぱの髪型をしている


村の奥には昔からの校舎の学校。教育に力を入れた様子がうかがい知れる


さて、永定土楼民俗文化村の土楼群の中で気に入ったのは小型の円楼の如昇楼。川沿いにたたずむかわいらしい外観、こぢんまりとした規模などが居心地が良さそうだった。巨大な円楼も小世界のようなものが感じられてそれはそれで良いのだが、普段小さい家に住んでいる身にしてはこのくらいの規模の方が一体感が住居としての実感がわく。
如昇楼外観
如昇楼外観

如昇楼の中庭から空をみる。 直径が小さいこともあり、外壁は円形をしているが内側は10角形のような感じで角張っている
狭いせいか中庭には祖堂は設けられず、代わりに正面奥の部屋が祖堂として使われていた 入り口ではおじさんがお茶の葉の選別をしていた。お付き合いで購入(安かったけど質もそれなり)。この辺ではお茶といえば烏龍茶。但し昨今の流れか、発酵度が低く、緑茶に近いお茶。
如昇楼の一階部分の各部屋 永成楼。永定土楼民俗文化村にあってもこれといった個性を持っていない方楼などは観光客も訪れなく、くすんでしまっている。門構えなどからかつては輝いていたと推測

5時近くなってきたことと、土楼巡りもそろそろお腹いっぱいになってきたところで文化村を出た。今晩はこのあとここから5kmの距離に有るという承啓楼に移動して泊まることは決めていた。が、門前商店の中に土楼汽車站「バス停」と掲げたところがあったので、翌日以降の予定の参考のためにも寄ってみた。

今回の旅行では翌日、翌々日が丸々使えるが帰国前日の翌々日の夜には厦門に戻っておきたい。このあとどう回るかまだ考慮中ではあった。永定に出てそこから梅州とかを見ても良いし厦門に戻ってじっくり厦門を見ても良い。もしくは一旦漳州や厦門にでて、更に乗り換えて潮州などの町を見ても良いと思っていた。更にそうするにしてもこれから承啓楼を見たあとどれくらいこのエリアを見てから移動するかなどこの時点ではまだなんにも決めていなかった。

バス停(といっても一軒の商店のような感じで有る)の壁に貼られた時刻表(こちらのページの一番下参照)を見ると龍岩まではほぼ一時間に一本有るが厦門迄は本数はあるものの実質朝とお昼だけだ。きっぷ売り担当の小姐に相談すると翌日12:30に厦門行きの臨時便が出てそれはこの洪坑村汽車站始発で座っていけるから便利だと言われた。ここできっぷを確保するか、確保しないで流れに任せて好きな時間になって龍岩まで移動してから厦門に移動するかで迷ったが、中国もGW、田舎から出れなくなるリスクなんかが頭をよぎり、翌日の厦門直行便を予約、購入した。


永定土楼民俗文化村の門前町的な洪坑村の食堂兼宿たち。お世話になった悦円飯店は看板が出ているうち右手奥から二つ目に位置する 日本語で「バス停」との表記もある洪坑村「土楼汽車站」
土楼汽車站でバスのきっぷの予約をしてもらっている間(その間に永定行きのバスが来たりしてきっぷ売りは案内係も兼ねているので待たされた)に出会った子供。最初は怪訝そうな顔していたが、話しかけていたりしたら手にしたりんごを食べなと差し出してきてかわいかった。

取りあえず厦門までの移動手段を確保したところで悦円飯店に戻り、荷物を受け取り承啓楼に行くというと、あと10分すれば仲間が前を通るから、その車に乗っていけば無料で行けるというので、お茶を頂きながら待った。

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