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2006年GW 中国・福建省旅行

土楼観光(承啓楼と高頭郷)

承啓楼へ

悦円飯店で紹介された人の車で承啓楼へ向かう。承啓楼は車で5分ほどのどかな田園風景を走った所の隣の集落(高頭郷)の手前側に立つ。形はオーソドックスだがさすがに威圧感のある円楼だ。



承啓楼

入場料30元を払って中に入り、ここで車を運転してきた旦那の奥さんに引き継がれ、早速部屋へ案内される。基本は環興楼と同じようなベッドと机だけの非常にベーシックな部屋ながら、環興楼よりは清潔感はある。宿泊料30元+夕食30元ということで荷物を置いた。そのあとこの部屋を持っている人は隣の方楼の世澤楼に住んでいるらしく、そちらの住居に案内される。しばらく世間話をしてこれから夕飯作るから1時間後にということになった。出るとき奥さんが一緒に下まで来て、今日はこれからこれをつぶすからねと囲いの中の鶏を一匹捕獲。但しこの鶏、あとで料理になって出てきたのを食べた限り、非常に痩せていて肉は硬かった。良く地鶏はうまいなんていうが、食べる肉が有ってのことである。
すぐ近くにある僑新楼新しいこともあって装飾なども整っている 承啓楼と隣の世澤楼
承啓楼と世澤楼との連なり具合。ここを訪れた人の多くがこの構図で写真撮るので真似してみた。地震が来れば屋根はこすれそうなくらいの間隔である 部屋から中庭サイドを眺める。中央の屋根が有る部分が祖廟
承啓楼の部屋。環興楼よりはやや清潔 部屋からの眺め。最近建てられたコンクリート造りの建物も土楼に合わせておうど色に塗られている。こういう配慮はうれしい

夕闇が迫ってきたので、ぼーっと土楼を眺めたあとは一旦部屋に戻り休み、頃合いを見計らって食事を取りに行った。別のテーブルにはアモイから来た大学生の一行がにぎやかに盛り上がっていた。第二外国語として日本語を学習している学生もいて挨拶程度の日本語を話せる学生もいた。

翌朝は鶏のモーニングコールと上の階の人がゴソゴソ動き出したためかなり早くから目を覚ます。土楼の床は木製なので、上の階で歩かれると結構響く。農作業に出る人なのか土楼の朝は早いようだ。目を覚ましたものの身体は起きてくれないので二度寝してしまったらボチボチ観光客もやってくる時間になってしまった。

承啓楼は建物のスケールが大きいのは勿論のこと、生活感が一杯で見てて楽しい。他の有名土楼とは少し離れているせいか(これには朝という時間帯も大きいとは思うが)観光客がワサワサという感じでもなかったのもポイントが高い。楼の中を探索したあとは後ろの山に登り風景を眺める。初渓村よりは「絵」にはならないが、上から見下ろすと円楼の特長が良く分かり、見ていて飽きない。

部屋の扉を開けてみた風景。 祖廟はこんな感じ
一階から上を見上げたところ 歯磨きしているおばちゃんと目が合ってしまった
一階の各部屋の対聯のかざり 屋根のひさし部分


承啓楼の裏山から承啓楼、僑新楼を見下ろす。風景がすばらしく(上り道で息が切れたから)かなり長い間見とれてしまった。


展望台から降りて農村風景の中をしばし歩いたあと高頭の町を歩いた(といっても一本道の両側に建物が並ぶだけどの町だが)。食堂や役場などが並ぶ新しい建物が並ぶ一帯の奥には古い建物が続きその間に市が開かれている。これが映画の中にでもでてきそうな、なかなか良い味を出していて見ていて面白かった。
向かい側にも円楼と方楼が並ぶ。観光化されていないものの農作業に出る人などで結構活気あるように見えた。 田植えが終わった風景は癒される感じがした
高頭郷の町 都市と農村の接点といった位置づけで、生活必需品は一通り揃う
商店の軒先に露店という形 ユーモラスなポーズをとってくれた雑貨店のオヤジ



高頭の町もはずれまで来ると再び土楼が姿を現す。この辺は山と川に挟まれた狭い土地に土楼が密集していて、さながら都市のような感じだ。それらの姿を写真に納め、そろそろ引き返そうと思うと通りかかったおじいさんに声をかけられた。どこから来たと聞かれ日本からというと、そんなに驚かなくてもというような感じで驚かれた。案内するからこっちへ来いと言われ一帯の土楼を案内してもらった。お陰で一人だと入りづらい観光化していない土楼の内部も見ることが出来た。

五角形の土楼として有名な順源楼などを案内してくれた後、お茶でも飲んで行けと言うことになって方楼の一つ、万安楼にあるおじさんのおうちにお邪魔した。両親と弟はタイのバンコクに移住しているとか、この辺は教育熱心で文化水準が高いとか、土楼は夏涼しく冬は暖かくて居住環境は良いがトイレが外なのが不便だなどのお話を聞いた。

町中に円楼、方楼が林立 中央の家は土楼ではないが古くて有名な家らしいが、説明を聞き取れなかった・・・
この角度からはわかりにくいが唯一の五角形の土楼として有名な順源楼。川と隣の土楼とに挟まれた土地の形に合わせて建てたため五角形になっている 順源楼の内部。川沿いの傾斜地のため門を入った側の反対側は階段を上がった二階レベルが一番下の階になる。現在は一組の夫婦だけが住んでいるそう。
傾斜や狭い中庭などの関係からか祖同は二階の部屋の一室を使って設置されている。 おじいさんが住む万安楼外観
万安楼の中庭から 案内してくれたおじいさん

もっとお話しを聞きたかった所だが、バスの時間が迫っていたので万安楼を辞し、バイクタクシーをチャーターして急いで承啓楼に戻り荷物を取って鍵を返し洪坑村へ戻った。バスの時間まではまだ少しあったので「バス停」の隣の食堂で取ったのだが、麺を頼んだらなんとインスタントだった上に、25元も取られるぼったくり。悦円賓館の10元のセットメニューは実はとっても良心的だったらしい。

やがて時間になったので「バス停」前でスタンバイ。窓際の良いと思った席をゲットしたのだが・・・一度座ったら抜け出せないくらい前後左右ともにスペースが狭い・・・前の方の席がその点広かったのだがそう言うのってすぐには気がつかないんだよなぁ。さて出発という算段になって遅れてやってきたカップルがやってきたのだが・・・二つ並んででは空いている席が補助席を使う席しかないという事態に女性の方が烈火の如く怒りだし出発できない。きっぷを売ったであろうバス停の係、運転手、他の乗客、野次馬まで巻き込んでの大騒ぎになった。最近のリッチになった層の傲慢ぶりは目に余るが、そんなところが出た感じだ。あまりの剣幕に座っている人を移動させて席を準備しようとしたが結局男性の方が辞退して補助席に座り、15分遅れで出発することになった。

いざ出発すると高頭の町を過ぎたところで道路工事で道がふさがれていた。本来は南靖方面へ抜ける予定だったと思うのだが、そこでUターンして陳東の村などを通り、一旦北側に迂回をしてから川沿いの道を、快調(というか怪調とも言うべき坂道を転がり降りるような飛ばしぶり)に飛ばす。

途中平行して走る高速道路の入り口の標識が何度も現れ、乗客からも高速は乗らないの?との声が上がるが、運ちゃんはうれしそうに乗らないよ!と答えて下道をひた走る。下道といっても山道でない部分は日本で言うバイパス級以上の規格の道路なので、飛ばしはするのだが・・・漳州を経てしばらく走ると郊外立地型の大規模な工業団地が延々と続く。狭いシートに縮こまっているのもそろそろ苦痛になってきたころ大きな橋が現れた、橋から大規模なコンテナバースを横目に見て厦門市内へは17:00ちょうどに着いた。

バスを降ろされた場所はニュータウン的な地区で、最初ここはどこかと思ったが、松柏バスターミナルの裏手の路上と判明。身分が低いバスはターミナルに入らないようである。というかこのバスは元々臨時便だと言われたがそもそも地元のバス会社がアルバイト的に日本で言う白バスみたいなバスだったらしい。そう言えばきっぷも正式な奴ではなく適当な紙の裏に走り書きしたようなものだった。まぁ別に無事着いたから良いのだが、松柏バスターミナルに貼ってあった運賃表に記載されていた運賃は全然安かった・・・

実はこの時点ではこのあとどうするかまだ未定だった。目の前の松柏バスターミナルを覗いてみて適当なバスが出ていたらそのまま移動してしまおうかなとも思ったのだが、実際バスターミナルを覗いて人々の熱気を見ていると、今まで4時間強狭いバスの座席に押し込まれていて更に移動しようとする気力はもはや残っていなかったことに気がついた。旅行の残り1日半はおとなしく廈門市内を観光する事にして他の都市へ移動は断念し、今夜はアモイに泊まることにした。

悦円賓館で出会った日本人に「湖浜バスターミナルの対面の道を少し行ったところにあるアラビア文字の看板がある招待所」が安くていいと教えてもらったので、湖浜バスターミナルまでタクシーで移動して探してみることにした。教わったとおりに行ってみると有りましたアラビア文字。寧夏回族自治区の招待所のようであまりに一般の団地の中にあるので入るのにやや躊躇したが、シングル120元也の部屋に無事泊めてもらえた。

部屋に着くと疲れが出てベッドに横になって、19時から始まる新聞聯播を見終わるまでテレビをウダウダ見てしまった。
観光地になっていない土楼が点在する山中をひた走る アモイ島へ入る
乗ってきたミニバス。 寧夏回自治区の招待所。本来は自治区関係者が出張で来たとき等のための宿泊施設だが、一般外国人も泊めてくれた。
招待所の部屋。清潔で必要十分といったところ。 部屋からの眺め。一般アパートの住民になった気分


招待所を出たところにちょうど鷺達眼鏡という眼鏡チェーン店が有った。旅行二日目の朝割ってしまった眼鏡が直るか聞いてみると、その場で割れた片側のレンズだけ入れ替えてくれるというので、お願いすることにした。30分ぐらい店員とおしゃべりして待つと出来上がった。やっぱり眼鏡がないと、ぼーっとしか見えないので、観光するにも何をするにもやる気なくなってしまっていたのだが、これで調子が戻ってくる。もう日は落ちて暗くらくなってしまったが、アモイの町を見て歩くべくぶらぶらする。アモイの町は他の中国の町と比べてもかなりさばけた感じがして、中国の町を歩いている感じがあまりしない。

但し、食事をしようとすると適当なレストランが見あたらず、やっと見つけた海鮮料理店に入った。一人なので小さな(=安い)魚を選び、清蒸で料理してもらうように頼んだ。魚だけでは寂しいので肉も頼んだ。海鮮料理店での魚料理はともすれば高くなってしまうので魚はぼられないように気を遣って念を押したのだが、肉は良きに計らえとしたら鹿のタンなんて出された。当然勘定もこちらが考えていた普通の肉料理より高くて(40元くらいだけど)やられた・・・


眼鏡店の店員。永定の方の出身なんだそうだ 海鮮料理店の冷蔵ケース。
宿の近くのネットカフェに入ってネットを少々いじり、宿に帰った。

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