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2006年1月 南インド旅行
プロローグとクアラルンプール(このページ)
チェンナイ到着ハイデラバードへ
ハイデラバード市内散策、チェンナイへ
チェンナイ市内散策そして帰国

プロローグとクアラルンプール

旅のきっかけと雪の成田

今回の旅の目的地は南インド。冬休みの3連休に週末の休み足した5日間で手頃なアジア内の行き先を物色していた所、予算はかなりオーバーながらインドが浮上した。インドは以前デリー、アグラの北インドは訪れた事があったが、よく南と北は違うという話を聞くので南も行ってみたかったこと、前回の訪印から3年がたち、経済的にも注目されているインドの今を見てみたかったことが決め手になった。

フライトスケジュール的(とマイル的にも)にはシンガポール航空で行くのがもっとも都合が良かったが、シンガポール航空のインド線はビジネス需要と競合関係からか足下を見やがって(笑)異常に高いので次善の策としてマレーシア航空で行くことにした。

現地滞在実質3日と非常に短いものの欲張りな私は、南インドの中心地チェンナイを見たあと足を伸ばして夜行列車でハイデラバードまで往復し、チェンナイに戻ってきてマハーバリプラムを見ようとかなり強行軍な予定を組んだ。列車に関してはインド国鉄のサイトからe-ticketで購入(このサイト、慣れるまで複雑で使いにくかったり、e-ticketが利用できるのは一部の特急だけと制限があるものの、便利だ)。夜到着になるチェンナイの宿が出発前に電話で聞いたところ、安いところは軒並み満室でかなり焦ったがやっと一カ所予約を確保して出発。

飛行機は成田10:30発。早朝家を出たときは小雪が舞っていた程度で全く積もってはいなかったが、成田に近づくにつれ空は暗くなりボタン雪が舞ってきてやや不安になる。しかし通常通りチェックインも行われ、いつもの通り(?)ファイナルコールで名前を呼ばれ慌てて機内に駆け込みんだ。乗るとき見た限り、雪は積もっているとは言い難い状態。翼にやや雪が付いているのが気になるかなと思った程度だったので、このまま出発すると思った。事実普通に出発準備をして機内の安全設備のビデオが流され、あとはプッシュバックしてエンジンがかかるのを待つばかりの状態。が・・・ここでパタリと一連の動きが止まってしまった。

機長は除雪を行うことになったので少し待って欲しいと放送した。次に放送があったときは除雪の順番待ちで1時間くらい遅れるというものだった。しかし一時間たったところで入った放送曰く、今、当機の順番は10番目だというもので、お昼時になったこともあり軽食が配られた。ちょうどこのときの5年前、同じくらいの降雪の日に国内旅行に出かけたときは大混乱だったものの、除雪作業の結果、結局3時間くらいの遅延で済んだという経験もあって、まだこの時点では乗り継ぎには影響ないだろうと余裕だった。

しかし最初の頃具体的だった機長の放送も、次第に「グランドの委託先の日本航空の作業を待っている状態」というものになり、しまいには放送すら入らなくなった。その間狭いエコノミーの席に収まって映画を見ること位しかしかなかったがそう言うときに限ってつまらない映画ばかりのラインナップ・・・徹夜明けの私は寝て過ごした。


この時点では遅れたとしても大したことないと思ったのだが・・・ 動かない飛行機の機窓の眺めほど精神衛生上宜しくないものはないが、要領の悪い除雪作業がさらにそれに輪をかける


しかしその余裕が不安に変わり、やがてあきらめに変わった。そうしてそのあきらめを受け容れる覚悟が固まった頃ようやく除雪作業が始まった。その様子を見てこれなら何時間もかかるわと妙に納得してしまうくらい、これが素人目に見ても要領が悪い。ようやく除雪作業が終わってももたもたしている。こんなふうならまた翼に雪が積もってしまうと不安になったがそれは杞憂に終わり、もう日がとっぷり暮れて暗くなったころやっと7時間以上遅れてプッシュバックされた。内心歓声をあげたい気持ちだったが異様なほど機内は静けさに包まれていたのが印象的だった。あまりに待たされて感情が麻痺してしまったのだろうか・・・

なおこの日は離陸できない飛行機が多数出たばかりか、駐機スポットが無いため降りられない飛行機、着いても自宅に帰れなかったり乗るはずの便が欠航になった関係で空港の床で一夜を過ごした人が多数出たりと大混乱だったようだ。混乱は翌日も続いたようで、遅れながらも一応離陸できたのはラッキーな部類だったということを後で知った。

しかし雪自体はさほど大した物ではないようだったのにこの混乱とは、成田空港は除雪の体制など見直して欲しいものである。

結局午前便のはずが夕方便と同じ時間帯となってクアラルンプール国際空港に着いたのは深夜1時近く。機長が遅延をわびるだけではなく、勤務時間超過でも我々はサービスしてきたなんて恩着せがましくアナウンスしていたのには苦笑してしまった。(さすがに日本人乗務員が翻訳するときその部分はカットしていたが・・・)

ゲートを出た所で乗り継ぎ客は方面別に分けられる。一番人数が多かったランカウイ行きとかは臨時便が出るとか出ないとかの話だったが、インド、モルジブ方面は12人ほど。係員に連れて行かれて入国書類を書けと言われここで翌日(本来の便から24時間後の)の同社便を手配すると言われる。しかしそうすると実質たった3日間のインド滞在が更に短縮され2日間になってしまい、なんのために高い金出してインドまで来たのか分からなくなってしまう。なんとか翌日朝発の他社便(そんなこともあろうかとスケジュールは調べていた)に乗せてもらえないかと聞くと、同じ考えのインド人とともに別のカウンターで交渉することになった。

こちらとしては翌朝のインディアン航空に振り替えてもらえば昼にチェンナイに着けるという淡い期待があって同志のインド人と粘り強く交渉したのだが結局、

1.エンジントラブルなどならともかく降雪による遅延は航空会社の責任ではない
2.他社振り替え不可のディスカウントチケットでは振り替えが不能、別途購入してもいいが値段はマレーシア航空ではわからない
3.ちゃんとホテルの部屋と三食分のミールチケット用意するが、それが最大限できること
4.気持ちは分かるがルール以外の事には応じる権限をもっていないし、この時間(夜中の2時)では権限を持った人間がいない

ということの堂々巡り。あきらめて一旦マレーシアに入国し荷物を受け取ったあと、指定されたホテルは出国後のエリアにあるエアポートホテルだったので出国してやっとチェックイン。部屋は快適だったが交渉で興奮状態にあったせいか寝付かれる状態ではなかったので、24時間営業でネットが出来るブースがあるバーガーキングでネットをやりながらクールダウンしてから眠りについた。
クアラルンプール国際空港へ「長旅」の末到着。乗り継ぐ方面別に分けられる このカウンターで粘って交渉するも・・・
安くネットが出来るブースがあるバーガーキング 案内されたエアポートホテル。部屋は狭いが機能的で快適!




クアラルンプール
まだ成田にいて、当日乗り継ぎが絶望になったころは、かねてから行きたかったマラッカにでも足を伸ばせばいいかと考えていたが、寝たのが4時頃、その前の日も徹夜と言うことで、起きたのは昼前。すっかり遅起きとなってしまったので空港内を探索したあとは仕方なくKLIA Ekspresでクアラルンプール市内に出ることにした。

十字に伸びるゲートの要。どこへ行くにも通るので見飽きてしまった KLIA Ekspresで出たKL Sentral駅
一駅だけ乗った近郊列車の車内 かつてのクアラルンプール駅。片隅に近郊線が停まる他は貨物列車が停まるだけと抜け殻のように活気が無くなっていた。

KL Sentralで乗り換え旧KL中央駅へ重厚な駅舎も今はほぼ廃墟になっているのが残念。すぐ近くの国立モスクを訪れたがこれも見学時間外で見学できず残念。かわりに国立モスクから近いイスラム美術館を見学した。マレーシアだけでなく各地のイスラム美術のエッセンが見学できて楽しかったが、外のあまりの蒸し暑さにへたってしまい外に出るのが億劫になってしまった。しばしウダウダしたあとチャイナタウンを歩いた。

KLの町を歩くのはもうかれこれ9年半ぶり。当時泊まった安宿はこころなしか傾いているようにも見えるが健在。ああこのお店で買い物したとか当時の事を思い出してしまった。そんな想い出に浸りながら市場を冷やかしたり、ビルの合間の関帝廟を覗いたりして過ごした。そして、フライトにはまだ早いものの大汗をかいたこともあって、ホテルに戻り風呂を浴びてゆったりしたくなったので空港へ戻ることにした。
宮殿風の外観の旧KL駅 駅からほど近い国立モスクだが、見学時間外で内部を見ることが出来ず残念・・・
チャイナタウンを歩く。奥の4階建てのクリーム色の建物が昔泊まった宿 チャイナタウンのメインストリートは新しいアーケードがかけられて印象がかなり変わった
春節を控え縁起グッズがならぶ商店。どの店も間口が狭くても奥行きが異常に深い昔ながらの造り 関帝廟にぶら下がる渦巻き線香

ゆっくり入浴して荷物をまとめホテルをチェックアウトし、気分良くチェンナイ行きのゲートに向かうと、2時間遅延の表示・・・ついていないがまた空港をうろついたりネットをしてすごしてやっとチェンナイ行きの飛行機に乗り込んだ。

チェンナイ行きはA330。

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