2007年GW 中国桂林旅行 | |||
プロローグと広州へ(このページ) | |||
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陽朔観光 | |||
広州、そして帰国へ | |||
プロローグと広州へ プロローグ 07年のGWは前年の11月に確保したJALの特典券で取りあえず広州まではいくことにしていた。広州からどこかへ行くか検討したところ、今回は桂林に行くことにした。というより年末年始にも広州までは来たのだが、張家界と桂林か迷い結局張家界に先に行き、桂林を次に回したのであった。桂林は中国を代表する景勝地/観光地だが、私が中国に初めて行った10数年前の時点で既に観光地ズレした町ぐるみでボッたくり体質との評判が定着し、マイナー指向の私の性格も相まって今まで足が向かなかったのであった。しかしやはり一度は行っておきたいところ、それが桂林である。 今回は当初一人で行く予定であったがたまたま同じ日程でD氏がJAL便の私とは違うANA便で特典航空券を確保していることもあって、一緒にいくことにした。D氏にとってはこれが初訪中である。 広州から桂林に行くに当たっては国内線の飛行機だと当然速いがやはり中国では鉄道で行きたいもの。しかし元々列車は5日前からの発売なので、取れたかどうかの回答がギリギリにならないと分からない。結局出発二日前にやっと列車が取れた旨連絡があった。列車が取れなかったら飛行機で行くわけでその分保険で飛行機の予約をしていたわけであり、当然往路飛行機だった場合の宿も予約していたのだが、こちらの保険を使うこともなくホッと一安心である。 D氏とはANAとJALと別々の便で行く関係もあって別々にチェックインし、1タミの展望デッキで落ち合ったのだが、D氏は情けない顔している。なんと飛行機の写真を撮ろうとしたらデジ一のレンズを金網に開けてあるカメラ用の穴からフェンスの向こう側に落としてしまったとのこと。警備員の方に助けを求め、ガムテープを先に貼った棒で何とか取ろうとするが、レンズは重いこともあってなかなか上手く行かない。あきらめかけた頃ようやく上手く取ることができ、結局無事レンズの回収に成功したが、出発早々から波乱万丈な旅の予感大ありである。 ともかくレンズが戻り安心したところで私は2タミに戻り搭乗。今回はゴールデンウィークにも関わらず、セキュリティーチェック~出国手続きは待ちゼロといった具合にスムーズだ。今まで同じ時間に出発が重なっていた日系を分離したターミナル分けが上手くいったのか、単にみんなGW前半から出発し、後半から出国した人が少なかったのかは定かではないが、予想外に早く両関所を抜けたので新装なったYahoo!カフェでネットサーフィン。やはり出発ギリギリまでタダでネットができる環境があるのはすばらしい。 さてこうしてJAL603便に搭乗!幸いよく晴れていて機窓を楽しむことができた。今回特筆すべきはいつよりやや南よりのコースで富士山の真上近くを航行したこと。いつもと違った角度での富士山は美しかった。
福岡空港を過ぎたたりで機内食が配れられ食べ終わるとともに爆睡。気がつくと片付けられているのは勿論もう広州着陸間際だ。笑ったのがJALのCAが英語のアナウンスでコウシュウinternational airportってアナウンスしていたこと。あのー「コウシュウ」って日本語なんですけど・・・それはさておきバゲージピックアップゾーンで無事D氏と合流、列車の切符も無事受取り、ひとまずバスで広州駅へ向かう。 広州 広州はほんの5ヶ月前にも来ているし、町自体も来た回数が5回とかなり勝手が知っている感じがする。それはさておき広州から桂林への列車は広州駅では荷物を預けD氏の希望もあって越秀公園内の広州博物館を参観。広州駅から越秀公園までは地下鉄に乗ったのだが、駅構内がひどい混雑。北京訛りの人とかが多く見られたので、黄金周で観光ラッシュの中国中から観光客が押し寄せているようだ。 広州博物館はおよそ12年ぶりの訪問。当時は訪れる人もなく、くすんだケースのやる気のない展示や職員だったが、今はスポットライトが当たり隔世の感がる。当時はは当たり前だった二連式のトロリーバスがもはや博物館の展示になってしまったことに軽いカルチャーショックを覚えたが・・・
あとはしばし広州市内をぶらぶら。列車の車中に備えるために茶葉と茶杯を購入したり、ドリアンを売っていたので道ばたで食べたり・・・食事をしてタクシーで駅に戻った。
我々が乗り込む特快38/39次列車は深土川始発。どうやらこの方面から来る列車は軒並み遅れているようだ。結局定刻19:54のはずが21:10過ぎと1時間あまり遅れて出発。今回は軟臥車を取ったので軟臥待合室が使えるので、遅れても快適である。残念ながら走行時間の関係で車窓は楽しめないが駄べったり食堂車で夜食を食べたりして日付が変わる頃睡眠。
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