2004年5月 韓国旅行 | |||
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慶州(このページ) | |||
釜山 |
慶州へ
そうこうしているうちにKTXは東大邱駅に滑り込み、接続するセマウル号に乗る。さっきまで乗っていたKTXと比べると車内はかなりはかなりくたびれた感じがするし、車窓もだいぶゆったりのんびり流れる要に感じる。KTXに乗っている間は今一実感がわかなかったがセマウルに乗り換えてKTXがそれだけ高速で走っていたことを思い知らされた感じだ。 慶州 慶州の駅に着き荷物をコインロッカーに預けて、まず駅からほど近い古墳公園に行く。初めて韓国に関心を持った頃、町中に古墳がボコボコっと盛り上がっている写真を見て驚いたものだが、古墳公園を歩くとそのころを思い出して少し感傷的になってしまった。ここでも武寧王陵同様、古墳の発掘物の展示が非常に上手い。日本だと陵墓にはとかく遠慮があるせいか、こういう分かりやすい展示ってあまり見ない気がする。
駅前の繁華街を昼食を求めてさまようがなかなか眼鏡にかなう店はない。探し疲れて駅近くのぼろい店でどじょう汁のチュオッタンを食べたが、香味野菜で臭みを消しているせいかまあまあ美味しかった。 食事を取ったあとで慶州博物館を見学。前来たときは工事中だったせいか、宝冠とかこんなにきれいに展示していたっけという感じがした。曲玉ってこういう用途だったのねと妙に納得。更にバスに乗って仏国寺へと慶州ベーシックルートを踏破。再訪とは言え、なかなか新鮮で来た甲斐があったが、仏国寺に着いた時点で更にその奥の石窟庵までのシャトルバスの時刻を確認すべきであった(とあとで気づいた)がのに、先に仏国寺を見てしまい、帰りに時刻を確認するともう無理という状況だった。
仏国寺から慶州市内に戻るバスは、運転が荒いのがデフォルトの韓国のバスでも、私史上一二を争うすごさだった。一般の市内バスなのに乗用車をと抜きつ抜かれつのカーチェイスを展開している。そんな状況だから座っていても座席から振り落とされないようしっかり捕まっていなくてはならなかった。しかしその甲斐あってか予想より早く慶州駅到着。実は仏国寺を出た時点では、この日はこのあとどうするか決めていなかった。翌日の帰国は午後便で釜山発なので、翌日朝釜山に向かえば済むので、このまま慶州泊がプラン1。駅から近い観光地をもう少し見てバスで釜山に向かうのがプラン2。最後にバスか鉄道なら迷わず鉄道指向の強い我々向けのプラン3として、鉄道で釜山に向かい釜山泊というのも考えた。慶州〜釜山間はバスが15分間隔で発車、所要1時間なのに対し鉄道は本数が少なく、かつ2時間かかるなど遅い。鉄道愛好紀行家として有名な宮脇俊三氏もこの区間はバスを利用したほどだ。しかも乗れると思われる列車は慶州18:54発釜田20:51着という時刻。これでは車窓を楽しめる時間帯ではない。 しかし我々の予想を超えるスピードで疾走してくれた運転技師ニム(様)のお陰で18:54の列車のきっぷを買おうと切符売り場に向かうと、乗車るつもりだった予定の列車より、もう一本前の慶州16:42発、釜田18:59着の列車に間に合う!慶州の街をもう少し見ておきたかった感は有ったが、この時点で発車前5分を切っていたので、慌ててコインロッカーから荷物を取り出し、きっぷを購入、地下通路をくぐってホームに出たときには列車はもう入線していて、指定では後ろの方の号車だった我々は車掌に促されて手前の車両から乗り込んだ。まさに滑り込みセーフである。 東海南部線で釜山へ 列車は慶州を出たときは空席が目立ったが、次の停車駅で遠足帰りと思われる中学生の軍団に蔚山まで占拠され、それはそれはにぎやかになった。列車は韓屋が残るのどかな田園風景かと思えば突然田んぼの中でも高層アパートが聳えるなぜか中間がない韓国らしい風景を進む。慶州から釜山(実際は列車は釜山までは行かず、その手前の釜山市内の釜田駅が終点)まで走る東海南部線は「現代」の企業城下町の蔚山や海岸の風景、大都市(田舎を走ってくると一層そう感じる)釜山の威圧感いっぱいの街並みなど、車窓が楽しく意外な穴場だった。1時間遠回りした甲斐十分有り。ちょうど日が暮れる前終点の釜田着。地下鉄の釜田駅へは市場を通って数ブロックな距離なので、歩いて移動。 ところで車中で斜め前に座っていたお婆さんが時折こちらをちらちら見ているのに気がついた。釜田到着の手前、愛嬌を振りまいて車内を遊び回っていた3才くらいの子供がふざけてつばを出すような形でじゃれて来たのを見てそのお婆さんが「汚い!」と日本語で叫んだので驚いた。おばあさんとは結局お話をしなかったけど、当然ながらこの国で日本語を話せる老人というのは複雑な経緯を経ているので気を遣うべきだ。周りに日本語が出来る人はいないとの前提で好き勝手にあーだこーだ言っていたが、ちょっとやばかったかも。もっともそのお婆さんは久しぶりに聞く日本語が懐かしいというような表情をしていたので救われたが。
本日の宿泊は温泉好きのS氏のリクエストを容れて東莱温泉にいくことに決めたので地下鉄で東莱温泉へ。適当な韓式旅館を物色していたら虚心庁を過ぎた突き当たりにアンソン旅館なる旅館を発見。ここならあんまり「変な」感じはなさそうだ。見せてもらった部屋はやや狭く韓式旅館があまり好きでないS氏は不満げだったがともかく落ち着く。落ち着きすぎて食事に出るのが億劫になってしまったが、最大の繁華街西面まで出る。 ところでソウルに行くとタッカンマリという「鶏一匹」という名の鶏鍋をよく食べに行く。ただの鶏鍋なのだが、これが美味くてお気に入りなのだ。そういう習性を持った腹を空かせた人間の眼が、ハングルの洪水の中で「タッカンマリ」という文字を見つけると、パブロフの犬よろしくよだれを垂らして店内へ入ってしまうのは自明の理である。テーブルにはコンロがおかれてなく、店内で鍋をつついている客がいなかったので一抹の不安が頭をよぎったが、そのうち持ってくるのだろうと思い屋根裏のような場所にある席に腰を下ろす。現にアジュマに「タッカンマリ」と頼むと「ネー」と頷いた。しばらくしてアジュマが満面の笑みを浮かべて持ってきた。大量の鶏の唐揚げを。確かに「鶏一匹分」で有ることだけは事実なようだ。仕方がないのでコーラを飲み飲み山盛りの唐揚げと格闘。 今回の旅行の最後の晩餐が唐揚げでは、S氏は許してくれるわけないのは勿論私だってやり直したい所。飲み屋風の店に入り直して終電までユッケとキムチを肴に飲む。こうして韓国旅行最後の夜を過ごした。 |
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