2008年夏 イエメン旅行 | |||
プロローグと広州へ(このページ) | |||
バーレーンとサナア到着 | |||
サナア散策 | |||
プロローグと広州へ
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年一回の連続休暇。今年は6月の終わりに8月の頭にとれるというスケジュールが決まり、行き先の検討に入った。(いつも通り)予算はあまり余裕がない。しかも例の燃油サーチャージで遠くに行くと割高になる。そこで当初はベトナム辺りにでもしようかと思った。しかし前年モンゴルに行ったときに北京までマイレージの特典で飛び、そこから手配したら意外に安く行けたことから応用が出来ないかと色々ネットをいじってみると、エミレーツの中国発が中東まで往復8万円ほどで行けることを発見。サーチャージは・・・と思ったらなんと込み! これは中東にいかなきゃということになった。来年以降ラマダンが8月にかかることもあるので是非今年のうちに行きたいところ。旧市街好きとしてはイエメンのサナアには是非行きたかったので探してみるとエミレーツは日曜日にサナア便が飛んでいない(08年夏期スケジュール)ので、乗り継ぎが良いイランにしようか迷った(何しろ現地滞在時間が2.5日も違うのだ)。しかし同一社便にこだわらずガルフエアでバーレーン経由で乗り継いでいけば日曜日中にサナアに着くことが判明。追加で手配しなくてはならないが、サーチャージ分にも行かない料金なのでポチッと予約。広州までのJALの特典もサクッと確保。 今回は利用する三社ともサイトで直接予約した関係で代理店は使わなかった。(あとでドバイ→シャルジャを移動しAir Arabiaを利用すれば最短且つ1万ほど安く行けることが判明したが、バーレーンもちょっと見てみたくなったこともあり当初の手配通りで通した。)飛行機のスケジュールの都合で結局イエメン滞在は日本〜ドバイを直行するより一日短い正味四日となってしまうが、行けるだけでも御の字だから文句は言えない。 そうして行くことは決めたのだが、旅行前の有る会合で会社の人事部長と話す機会が有ったのだが、開口一番「今年はどこ行く?」なんて探りを入れられた(なんで毎年ほっつき歩いていること知っているんだ!)。「イエメンです」と答えるとGWに日本人が拉致された事件が発生していたこともあり、「大丈夫なんだろうな、金で安全が買えるなら惜しまないこと、会社と常に連絡を取れるようにするように。大使館の手を煩わせるようなことになったらクビだぞ!」と念を押される。というわけで今回は航空券が当初の予算を下回って取れたこともあり、少しは奮発且つ安全重視路線で行くことにした。 とはいうもののテロとかも有って出発が近づくにつれちょっと不安が増してきた。一時は乗り継ぎ地のバーレーンで降りて滞在してしまおうかと思ったほどだったが、イエメンに青年海外協力隊として赴任されている方に情報を頂き、様子がイメージできたこともあり覚悟を決めて出発。この辺のへんな「悲壮感」というか出発前に急に色々不安になるのは初めてインドに行った時に似ているかも。 いつもの段取りの悪さで以前買った海外利用可能な携帯が出発当日になって見あたらない。会社から今回は連絡を取れる状態にしておくことを義務づけられたので持たないわけには行かない。仕方が無く成田でレンタルしようと思った。広州までのチェックイン後、ドコモのカウンターを探したが、なんと2タミにはドコモのカウンターがない!そこで1タミのドコモのカウンターへ行くとレンタルは1日525円。 う〜ん結構かかるなまぁ今回は安心のために仕方がないかと思いつつお姉さんに「前は海外で使う専用の携帯を安く買えたんだけどなぁ」とぼやくと今もやっていますよしかも2100円とのこと。ならレンタルするより安いじゃんというわけで買ってしまった。しかしロッカー形式の無人自動受取記で受け取るというもの。指定のサイトに行って申し込み、そのバーコードを読み取らせるとロッカーが開いて携帯ゲット!しかし手続きにやや時間がかかったのは否めない。 あとSDカードの容量が不安だったので追加で購入。これも迷って時間を食うことに。あ、アラビア語の会話集も忘れた!買わなきゃ、えっとEdy残高足りないし・・・と会計で手間取る。そんなこんなで想定していたよりも2タミに戻る時間が過ぎてしまい、慌ててターミナル連絡バスの乗り場に行ったのですがこういうときに限って、連絡バスは7分間隔のはずなのに来ません。 やっと来てさあ行こうと思ってもなんかご老人の団体様一行が乗り込みはじめ、更にそこ譲らなくて良いから的やたら安全運転の運転手。すぐそこに見えるターミナルになかなか着きません。 もうイライラ・ドキドキ時計とにらめっこです。これらこの便も含めて4便も乗るのに成田で乗り遅れたら洒落になりません。それに今回のJALの搭乗券には、前には無かった搭乗時刻の10分前にゲートにいないとお乗りになれないことがございますなんて記載が・・・やっと2タミに着いた時点で搭乗時刻の13分前。 バスは到着階に着くのでかなり走るが、ちょっと走ったらもうもう足が前に動かない・・・セキュリティーチェックは割とスムーズに通り抜け出国審査。しまった列を誤った。なにやらもめている人の後についてしまった・・・この時点でもう5分前くらいです。 そしてこういうときによりによってゲートはシャトルで結ばれている外側のサテライトの端!シャトルはどう焦っても早くならないのですが、降りて駆け出そうとしたらグランドのお姉さんにMustafaさんですか?って様子だけで身元がばれる。お急ぎください!というわけで一緒に走る走る! しかしここまで中距離走してきてゴールにたどり着いたのにまたここから短距離走走る感覚で足が思うように動かない。しかもお姉さん絶対陸上部だったと思うほど脚が速く、後を追いかけるだけでも大変です。走りながら「荷物下ろさなくて良い」なんて言っている位本当ギリギリで乗り込みます。機内に入るとまだ席に着く前にドアクローズ。 乗員乗客、グランドの方にまでご迷惑をかけてしまいました。あまりの息切れ&大汗かきぶりにCAが冷たいお茶を持ってきてくれました。しかしこの便、翼から後ろのセクションは殆ど人がいない、搭乗率10%台といった空き具合。広州線はビジネス路線だからお盆は却って空いているのか?それにしても・・・と思ってしまいます。 これはいつものパターンですが、日本上空は機窓を眺め、機内食を食べ終わるとそのまま降下を始めるまで昏睡状態に陥ります
広州到着 市内近く昔の白雲空港があった辺りで高速を降りると渋滞に巻き込まれる 広州は最近結構足を運んでいるので慣れた感があります。今まで割とちゃんと見ていた検疫では係官の女性はカウンターに突っ伏して寝ていて素通りの代わりに今までほぼフリーパスだった税関はX-線をかけるなど厳重。北京五輪を控えた処置なのでしょうか。広州空港は国際線同士でもスルーでチェックインが出来ないため一旦荷物を引き取ります。ドバイへの便は夜なので荷物預かり所に預け、バスで広州市内へ。 さて今回は往路は当日乗り継ぎですが、復路では広州深夜に着き一泊する必要があります。なので宿を確保しておきたいところ。バスを降りてすぐの南航ホテルに聞くと23時以降は予約を取り置きしないとのこと。そういうときのための南航ホテルなんだろ!(怒)と思ったが仕方がなく駅前広場に面する広州城市酒店を予約。最近北京駅前とかにもできた格安ホテルで便利なところにあるので重宝します。 さて広州についてどうするかは白紙の状態。深センまで最近走り始めた新幹線を試乗してみようとも思ったけどあまりに駅前が混雑していたのと万一乗り遅れたりしたら・・・と思ったので広州市内を散策することに。
記念館を出て懐聖寺に向かおうとすると解放路の陸橋のあたりには電気部品の店が集中的に出店しているのを発見。電池だとかモーターだとかなんい使うかわからない部品だとか廃棄処理の基盤から取り出したようなコンダクタとかLEDとかひたすら電灯並べる店だとか。昔の秋葉原のガード下にありそうな店がたくさんひしめき合っていて冷やかすと興味深かった。興味の赴くままに歩くと随分目的地から離れたところに行ってしまったことに気づきます。 一旦解放路に戻り改めて懐聖寺に向かいます。残念ながら非ムスリムは中に入れず外からミナレットを見るだけですが、これから向かうアラビア半島に思いをはせます。その後は早めの夕食を広州四大酒家の一つパン渓酒家で取ります。しばらく(といっても一週間ですが)豚肉断ちをするので広東料理名物金牌焼乳猪を食べました(が脂っこくて途中でギブアップ)。 朝乗り遅れる寸前だったこともあって、空港には早く戻ります。が、カウンターが開く定刻3時間前に行ったのにもかかわらず既に長蛇の列。乗客は中東・アフリカ系ばかりで中国人は殆どいなく、荷物が大量にあること、ドバイ以遠への乗り継ぎやビザチェックに時間がかかることもあってチェックインまで1時間半を要しました。私一人にも人はドバイまでだが荷物はガルフに預け替えバーレーン経由サナアと言う形の入力が難航し、10分ほどかかる有様。
夜は発着便が少なく、閑散とした出発エリア。先述したようにここからは乗客は濃い顔立ちの人たちばかりで、東洋人は殆どいなく雰囲気が盛り上がってきます。それなのにエミレーツの客室乗務員のメインはなんと日本人。私には機内食の選択を中国語で聞いておきながら、臨席のレバノン人(勿論見るからに中東系の顔立ち)に日本語で聞いたりして笑えます。深夜23:50発のフライトと言うこともあり、まずい機内食を食べたとは二食目の機内食のために起こされるまで意識を失いました。
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