2008年夏 イエメン旅行 | |||
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サナア散策 | |||
ドバイ、バーレーンを経てサナアへ
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ドバイへの到着は未明。まどろんでいると電気がつき二回目の機内食が出される。飛行機はもうオマーンの手前。寝ていたお陰であっという間にドバイに到着した感じだ。しかしドバイでトランジットという人の流れに乗ると出発エリアに来てしまった。 殆どの乗客はエミレーツ同士の乗り継ぎで既にドバイ以遠のボーディングパスも手にしているのだが、私はここでガルフエアーに乗り換えるので手にしていない。係員に聞くとあっちだこっちだと適当なことを言われ、結局はトランジットゲートを逆走してチェックインは無事済ませることが出来たのだが、寝起きであちこち巨大空港を行ったり来たりしたせいか疲れてしまった。時間的には午前5時とかの未明の「夜逃げ時間」だがこの空港はこの時間が一番活気がある。というか、余りに利用客が多いのに座る場所が少なくて、座席を探してウロウロする。地べたに座ったり寝ている乗客も多数だ。 ドバイの空港は確かに乗換には便利だし、お店も充実しているがネットできるスペースが皆無に等しい(大勢待っている立ちネットブースはあるのだが)し、それでなくともちゃんとした数の待合室を整備して欲しい、私にとってはあまり好きではない空港だ。
バーレーン到着 さて無事ガルフ・エアに乗り込むことが出来、実質1時間に満たないフライトでバーレーンに到着。着陸するとき見えた地上は砂で霞んでいた。入国審査ではビザという名目で15ドル取られる。両替をすると1バーレーンディルハレムは3ドルに相当と、お札の額面が小さくしぼんでしまうので、大金持ちになったと錯覚する韓国とかデノミする前のトルコの逆で、なんだかとっても貧乏になってしまったように思ってしまう。 さて両替をしたところでドバイからの飛行機にガイドブックを忘れたことが発覚した。私らしいドジさ加減に自分にあきれてしまったが、ガルフエアのオフィスに行くと、出国した先のオフィスに聞けということだった。そんなこんなで空港を出るのに手間取ってしまったが、ビザのスタンプにはビジネスフレンドリー・バーレーンとあっても、貧乏ツーリストにはフレンドリーでないらしく、市内に向かうにもタクシーしか実質的には足がない。停まっていたタクシーに乗り込もうとするとそのタクシー、4ドア車なのに後部に乗るスペースがなかった。理由は・・・運転手の体型が余りにアラビックで、おなかのスペースを確保するために思い切り後ろにしてあった(だけでなくシートベルトもできないくらい。よくハンドル操作ができるかと思うほど)から。 とにもかくにもそのアラビックなタクシーでまずは一番の観光地と思われる、バーレーン最大のモスク、 アフマド・アル・ファテフ・モスクへ向かう。
一応、モスクは勝手に見学できるわけではなくガイドの説明を聞きながら回る。すでに説明を聞いていたオーストラリア人と一緒に説明を聞くことになった。ガイドはこのモスクのことだけでなく、礼拝のやり方などイスラム教全般の説明をしてくれる。もっともオーストラリア人が質問魔で、矢継ぎ早にたくさん質問していたことによるのだろうが・・・ しかしこのモスク、大理石がイタリア産であることはともかく、じゅうたんはスコットランドから輸入したのだという。どうせ金に糸目をつけないなら周辺の絨毯を産するイスラム教国から伝統的な絨毯を輸入すればよいのにと思ってしまった。 さてモスクを見終わり、次の目的地の国立博物館へ向かうことにした。来るときは空港に停まっていたタクシーを拾うことが出来たが、帰りはタクシーが拾えない。来るときは割とサクッときたのと、地図で見る限りそんなに遠くなさそうなので歩いてみたのだが・・・バーレーンの暑さを舐めていた。砂漠からの熱気に道路の照り返しプラス海からの湿気の相乗効果、手持ちの水を切らしたことなどこのままでは熱射病で倒れてしまうのでは思うほど。 これはやばいと思い、歩くことを断念。通る車に乗せてくれと手を挙げるが、そもそも高規格道路の直線、ことごとく素通りされ悪戯に時間が過ぎていく。やっと一台先客がいるタクシーが止まってくれたときはホッとした。コーラン博物館の前で下ろしてもらい(ここは夏期休館中と知ってはいたのだが、一応確かめたかった。案の定閉館中)国立博物館に向かった。しかしこの間を歩いている間にも暑さに耐えきれなくなり、たまたまタクシーが通りかかったので、面倒くさくなって空港へ戻ることにしてしまった。 スークのような市街地を歩けばこんなことにならなかったのだろうとちょっと後悔するも、時間がギリギリとなったのにタクシーが捕まらない可能性があることを思えば、まぁ仕方が無いかと自分を納得させた。結局バーレーンではモスクを見学し、ガルフ地方の暑さを身をもって体感したということだけで出国。バーレーンの空港は日本で言えば大きな地方空港といった感じだが、必要十分な施設がコンパクトにまとまっている感じだ。 時間は余っているのだが、ガイドブックが気になる。出国した後にあるというオフィスを探したがこれが聞いても見つからない。本来通ってはいけないであろう通路を逆送し入国審査のエリアでやっとオフィスにたどり着くことができた。かなり待たされたが、表紙にドバイからの便に座っていた座席番号が書かれたガイドブックが戻ってきた。手にするとちょうど搭乗時間が迫ってきたのでサナア行きの飛行機に乗り込んだ。
砂漠というイメージとは裏腹に機窓からの眺めはほとんど曇っていたり霞んでいて下界は見えなかった。降下を始めると黄土色の大地に同じ色の建物が見えてくる。サナア着陸後最初に見たものは・・・スクラップと思われる塗装が落ちてボロボロのジャンボ機。いかにも飛べなくなってそのまま放置っぽいのだがどうなんだろう。 イエメン到着そんな空港なので当然オープンスポットに沖止め、バスで教室くらいの部屋に入り入国審査をうけるのだが、その前にトイレに行くと、あふれかえって池と化している素敵なトイレの洗礼を受ける。 それはさておき入国審査の前にアライバルビザを申請、の前に両替。50ドルが10,000リアルに欠ける位になって返ってきた。そのうちの5,500リアルとパスポート、E/Dカードを隣の窓口に出すとあっという間にビザのシールが貼られて来た。そんな感じで待つことなく入国審査へ。 入国審査自体は一応イスラエルボイコットをしているせいか、全てのページをチェックすることになっているようで、1ページごと調べ始めたのだが、面倒になったのかいい加減な見方の挙げ句途中で止めてしまった。この辺のゆるさがイエメン?ゆるい入国審査の割りに税関は鞄の中身を詳しく調べられる。デジカメを複数台持ってきたことを咎められかけ、かつては韓国や中国とかでもカメラを転売しないよう台数制限を超えると関税がかけられることを思いだし一瞬やばいと思ったがおとがめ無く通過。 ホテルに頼んだ迎えとも無事合流し市内へ。車のボロさはインド級、空港前の幹線道路脇で山羊を放牧しているなど段々この国のペースが分かってきますが、都心部に近づき人が増えて来るに従い気分も高揚してくる。
乗り合いバンのダッハーブ乗り場を過ぎ、降雨時は水路にもなる通りをしばらく行った後、ここを車が通るかと思うような狭い路地を通って予約していたタージ・タルハホテルに到着。部屋は6階にあり、高地にあるサナアのこと、いきなり3階くらいで息が上がって立ち止まってしまう。それでも荷物は従業員の方に持ってもらってのことなのだが・・・ 部屋はテーブルとベッドが置いてあるだけだけど、最上階からの眺めはすばらしい! 部屋からの眺め。うーん最高です 眺めているうちにアザーンが流れやがて日が暮れてきた。夜景もすばらしいのは言うまでもない。しかし夜行便明け、その前は徹夜、加えて時差(−6時間なのでちょうど日本は寝る時間)という状況下、そのまま気絶するように眠ってしまった。未明のアザーンで一旦目が覚めるが、なおもそのまま睡眠継続・・・ 部屋からの夜景の眺め。 |