2006年GW 中国・福建省旅行 | |||
プロローグと永定(このページ) | |||
土楼観光(初渓村) | |||
土楼観光(永定土楼民俗文化村) | |||
土楼観光(承啓楼・高頭郷) | |||
厦門市内観光 | |||
プロローグと永定へ
旅のきっかけ 今回の旅の目的は福建省の土楼、特に円筒形をした円楼を見に行く旅。中国の普通切手は今は長城シリーズになってしまったが、以前は各地の民家がモチーフになっていた。その民家シリーズのうち、日本への郵便物でよく使われる1元切手に描かれていたのがこの円楼。中国から手紙や絵葉書をもらうとだいたいこの切手が貼ってあり、否が応でもこの奇抜な形の民家のシルエットが潜在意識に刷り込まれるので、いつか実物を見てみたくなる。加えていつもお邪魔させて頂いているGinaさんのサイトの旅行記など見ているうちに自分の中の行きたい先スタンバイリスト入り。とはいうもの、なかなか実行に移せないでいた。 以前の1元普通切手。福建民居と題され円楼(承啓楼)が描かれている。 さてGWはいつもカレンダー通りの私にとって2006年のGWは最も長く休めるパターン。しかしそのことに気が付いた時はマイレージで取れる行き先は関空発の厦門(アモイ)だけだった。ん?厦門?じゃ今回こそ土楼に行くぞということとなった。しかし行くとは決めたものの唯一のガイドブック岡田健太郎著「客家円楼」を購入してさらっと読んだだけで準備不足のままGW突入。 羽田を出て、関空発の中国線へ接続する全日空141便はこのまま関空発の国際線に充当されるのであろう国際線使用機材、なのに設定はモノクラス・・・というわけで敢えて事前座席指定しなかったところ狙いどおりビジネスのシートをあてがわれた。広くていいのだが乗りなれていない(泣)ため前の座席との間隔があきすぎていて、なんか落ちつかない。電動リクライニングとかで遊んでいるうちにあっという間に関空着。
関空から厦門へはB737-700。しかもバブリーなゴールデン塗装。搭乗口に集まった人が一様に「小さい・・・」と漏らすほど隣の747や777と比べるとやはり小さい。地方空港からは国際線としてバンバン飛んではいるけれども、私自身も日本からの国際線で737に乗るのは初めて(他の国では結構あるけど)。ここで名前を呼び出され、なぜか座席の変更を言い渡される。そしてあてがわれたのは非常口のリクライニングしない座席。しかも窓際の指定はそのままといいつつ、座席の位置は真中の列で窓には接していない座席。そりゃ確かに両側に人がいる訳じゃないけど、壁に寄りかかって寝たい自分にとってはこの座席を窓際とは言えないな。とさっきまでのご機嫌気分はどこへやら。この変更は関空までの区間ビジネスの座席に座ったのの帳尻合わせか?と思いつつ雲が広がっていたこともあり、機内食を平らげると壁にもたれなくても爆睡。気が付くと最終着陸態勢で、林立する高層マンションなどの建物が見えてくる。あんまりにょきにょき高層アパートが林立している様相に、間違えて香港かシンガポールに来てしまったかと思った(おおげさだけど)。 結構近代的な厦門空港のターミナル。 預け荷物がないのでスムーズに外に出たものの両替所がない。係に聞いてもやっていないという。よく見ると出国エリアに両替所はあるものの、カーテンがかかっていて「五・一労動節期間休業」との張り紙が・・・全くバンチャイ(中国銀行)頼むよ~見た目と裏腹に全然近代的でないじゃんと思ってしまうが、仕方がないので両替が不自由な田舎に行くことを考慮して、ATMで多めにキャッシングし、タクシーで市内の湖浜バスターミナルへ向かう。 この時点では未だどこに泊まろうかとかどう回ろうかなどの予定は全く白紙だった。そもそもバスがどこ行きが取れるか全く不透明だったからだ。土楼は沿岸の厦門から行く場合、内陸部の龍岩という市から山間部に入った永定県のさらに山あいに入った村、郷・鎮レベルのところに散在している。空港からバスターミナルへ乗ったタクシーの運転手にはこの時間だと永定まで行くバスはないといわれたが、その場合は龍岩までとか行ける所まで行ってみようと決めていた。ターミナルに入ってみると壁に掲げられた時刻表には永定14:00とあったので、それが取れれば永定まで、取れなければ龍岩まで行くことにした。
きっぷ売り場は往年の列車のきっぷ売り場のような喧騒。窓口の係員の声がスピーカーを通してこちら側に聞こえる仕組みなこともあって、ちょっとのモジモジも許してくれないようなすごい剣幕(のように聞こえる。実際は用件だけを聞いているのだが、どこ?いつ?何枚?と矢継ぎ早にわめくので圧倒されるように聞こえる)。言うべき内容を何回もイメージトレーニングして10分ほど並んだが、幸い私の列の窓口氏は穏やかな人で次の永定までというと14:00のきっぷを発券してくれた。永定まで61元なり。(でも帰りに戻ってきて見てみたら土楼エリア近くに直接行く14:50発という表示もあった) バスに乗り込むとき、係や運転手に土楼のあるところで降ろしてくれと頼むと、このバスは通らないからまず永定まで行き、そこからは旅行社と相談しろとのことで旅行会社の電話番号をメモしてくれた。ほかに2組のカップルが土楼に観光に行くようで、同じようにメモをもらっていた。やがて14:00になりバスは出発したが湖浜バスターミナルを出たときの乗客はわずか8人ほど。なんだガラガラなんだと思っていると程なくして別のバスターミナルに入る。ここで大勢乗り込んできて9割方席が埋まる。乗り込んできた人に聞くとここは松柏バスターミナルというんだそうで、みな14:20と印刷されたきっぷを持っていた。ここは湖浜バスターミナルよりは空港よりにあるので、空港から来る時はまずここを目指せば時間が節約できたことになる。
厦門は島に立地している都市なので、バスは橋を通り対岸に渡る。ここでも集美など二箇所のバスターミナルに寄ると満員になった。やがて高速道路に乗り、福建省南部では厦門に次ぐ地位の漳州市をかすめ、和渓という町まで山あいのトンネルが多い区間をひたすら飛ばす。ここからは九十九折の峠越えの山道。いくつか峠を越えるとやがて土楼が出現し感動する。ただし表れたのは全て四角い方楼。 バスは途中から激しく降ってきた雨の中、アップダウンにカーブが連続、おまけに悪路といった道をひたすら走り 18時過ぎに永定バスターミナルに到着。このバスは更に豊稔というところまで行くらしいがここで大半の乗客が下車。 雨が相変わらず激しいしそろそろ暗くなりつつあるのでここで宿を探すか、どうするか迷ったが、付きまとわれたオート三輪の客引きに、試しに代表的でかつ宿泊が可能な承啓楼に行きたいというと、オート三輪じゃ無理なので車を雇え、丁度そこに同じような人がいるといわれ車の運転手のところに連れてこられた。そこには先程のバスに湖浜から乗ってきていたカップルがいて同じく土楼に泊まりたいとのこと。向こうも少しでもチャーター代を安く上げたかったらしく、シェアしないか誘われた。渡りに船だったのでありがたく応じる。値段は交渉しても一台120元を下回らず高いなぁと思ったがシェアしなければ一人で負担することになるからラッキーだ。 ボロい車に乗せられて山道を再び行く。途中日が完全に暮れてきてどこを走っているのかとんと見当もつかない。そもそも下調べ段階から大雑把な地図しかなくて各郷鎮の位置関係や距離が今一つかめない。運転手は携帯でなにやらやり取りしていて土楼の部屋は確保したから気に入らなければ対面のホテルに泊まれという。しばらく走ると路肩に停まり、後から来たきれいな車に乗り換えろといわれる。訳がわからないが一人だったら事情を説明されたとしても心細かったかもしれないが、今回は中国人のカップルがついているので安心である。 今度の運転手は龍岩に客を送ってきた帰りと言い、運転の仕方がおっかなびっくりだった先程の運転手と違い、勝手知ったる我が庭を走っているような感じで抜け道のような道を通り、小さな町を抜けると小規模な食堂兼宿が何件か並んでいる所に停まった。このとき19時前。永定からは1時間近く走ったことになる。暗くてよく分からないが、希望していた承啓楼でないことだけは確かなようだ。しかし当初は初日は龍岩か永定に泊まって次の日から土楼観光かなと思っていたので、初日から円楼に泊まれるとは思っておらずここまでとんとん拍子に来れたことをヨシとすべきか。 車を降りるとあとはその宿の女性に引き継がれた。まず連れて行かれた土楼の部屋を見る。宿の女性は立て板に水の如く説明を始め土楼は50元、脇のホテルは100元と言われる。土楼の部屋は、このホテルが円楼内に何部屋か持っている部屋のようだが、はっきりいってベッドがあるだけかつお世辞にもきれいとは言いかねる汚さだった。更に宿としては高い部屋に泊まって欲しいらしく、案内する宿の女性はしきりに土楼の部屋の悪口をいいホテルに泊まるよう勧めるのだが、土楼に泊まりにここまで来たのだから勿論土楼に泊まることにする。先程のカップルはあっさりホテルの方ににしたようだ。部屋に荷物を置き、宿のロビーに行く。ここでようやくここが悦円飯店という宿であること、途中乗り換えてここまで運転してきたのがここの主人で部屋の説明をした女性が奥さんだということがわかる。(悦円飯店についてはGinaさんの旅行記にも登場しますのでご参照ください) 早速明日の予定を聞かれ車を雇わないかと聞かれる。一人の旅行者からいかに多くお金を落としてもらうようにすることに関してこの宿なかなか商売上手で、何にも考えていないと宿の言いなりになってしまう。その手には乗らぬぞちょっと考えなくてはと思い、まだ何も決めていないと伝えると食事はこちらへと案内され、既に食事を始めていた日本人とフランス人(2人組)と相席にされた。日本人はかなり年配の方だが、天津の大学で教えているそうで、フランス人は上海で働いているそうである。幸いにも話は盛り上がり楽しく過ごすことが出来た。
話は盛り上がったが、21:30を回ってしまい、ひとまとまりで奥の食卓で食事を取っていた従業員たちも終業モードになってきたので部屋へ戻ることにした。土楼は夜遅くなると門を閉ざしてしてしまうので、中に電話をかけて門を開けてもらい中に入った。部屋に戻ってしまうと何もやることがなく(というより疲れてやることがあっても眠りたくなった)、円楼の外の蛙の大合唱と中庭で飼っている豚や鶏の鳴き声をBGMに眠りについた。 |