プロローグ
2004年のGWはカレンダー通りの休みが1日〜5日と、この時期には祝日以外の休みが取れない私にとっては、カレンダー上の休みだけで考えられる最も大型連休の年だった。そのことに気がついた瞬間国内でくすぶっているわけにはいかないと思ったのだが、その時は既にマイレージの特典でいける所は満席、他もチケットが高いというわけで、久しぶりにシーズナリティには関係ない船で韓国に行くことにした。関釜フェリーは自分の意志と金で行ったという基準では初海外のいわば”原点”。13年ぶりにその原点に立ち返ろうというわけである。仲間内に計画を披露した所、友人のS氏が一緒に行こうという事になった。行きの関釜フェリーは1等を奮発して(といっても12,000円で雑魚寝の2等とは3,500円の差、ビートルよりも安い)帰りは釜山発のノーマル航空券を抑えた。
下関へ
下関まで行くのにまずJALで山口宇部空港まで飛んだ。機窓からは霞がかかっていたが関西から瀬戸内海の景色を楽しめた。日本上空が晴れていると、頭の中の地図と足元の景色が一致するので楽しく、なんか得した気持ちである。空港からはバスで下関へ。前夜徹夜していた疲れが出て眠り込んでしまい、目を覚ますと下関駅だった。関西の実家に寄ってから下関に来るS氏とは夕方待ち合わせしているのでそれまで関門地区の観光を楽しむ。関門観光に関しては、まままさんのサイトを参考にさせて頂いた。
下関は対岸の門司に比べると数が少なく、マイナーながらもレトロ建築があり、それらを見て回る。秋田商会は洋館なのに内部は強引とも思えるような和風造り。どうせなら和風建築にすれば良かったのにと思うほどミスマッチが微笑ましい。手前の南部町郵便局は下関最古の洋館で、現役郵便局としては全国でも一番古い建物らしいけど改装され方からか重厚さがあまり感じられなかったのがちょっと残念。
更に進んで日清戦争の講和条約である下関条約の交渉場を再現した日清講和記念館を参観する。台湾の割譲や賠償金2億両(なぜ両が「テール」とフリガナが振られるかは未だ私の中の謎だ)を決めた場所である。歴史の教科書で知っている光景が目の前に現れるのは不思議な感じがした。さてここまで来たところで、疲れたしお腹も空いたというわけで唐戸市場跡の「カモンワーフ」(いかにも個性がない観光客向け設備だ)へ向かい、ふぐ雑炊を食べる。とはいっても雑炊にしてしまえばふぐといってもただの白身魚だとしか感じなかった。やはりここは奮発してふぐ刺しでも食べなければいけないのだろうか。やや不満を感じたので別の店で寿司を食べた。ここでもふぐの握りを食べてみたのだが、やはり美味しいとは思わなかった。その代わりに鰺は脂がのっていてとろけるような食感で非常に美味かった。試す前から分かっていたとはいえ、どうやらふぐのような繊細な味覚を味わう資格はなかったようである。 |
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下関レトロ建築の代表、南部町郵便局と秋田商会 |
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秋田商会の内部 |
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旧山陽ホテル。九州や半島への玄関口として格式有るホテルだったが今は建設会社の事務所として使われていて少し哀れ |
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日清講和条約会談場。伊藤博文と李鴻章が交渉した会談場が再現されている。 |
門司側へ
おなかが一杯になった所で門司側に関門連絡船で渡る。連絡船と言ってもモーターボートに毛が生えた程度といえば大げさだが随分小さく、かなり揺れる。そのため見た目、波がなさそうなこともあり、海と言うより大きい川のように見える海峡が、ちゃんと海であることをいやが上にでも実感できる。やがて船は門司港駅前の埠頭に到着。関門トンネルの開通によりメインルートからはずれてしまった同駅舎を正面から拝めることになりなかなかいい設定だ。
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関門連絡船からみた関門海峡 |
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門司港駅舎。見た目は重厚ながらも木造でややちゃちい |
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寝台特急用の電車。実際乗ることが出来た昼間の特急と違い、あこがれの存在でありつづけた |
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国鉄の顔だったボンネット型特急電車。個人的には一番思い入れがある |
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クーラーの形など時代を感じさせる。他にビール瓶の栓抜きがついたテーブルなども懐かしい存在 |
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飾り気がない青いシートがいかにも国鉄らしい |
駅を見た後は隣に出来た九州鉄道館を見学。SLなど古い時代の車両も展示されているのだが、個人的なあこがれとして実感できる国鉄時代の特急電車が興味を惹いた。その後はレトロ地区の古い建物を楽しみながら電気通信レトロ館まで歩く。ここでも一番興味を惹いたのは昔懐かしい赤電話、青電話をはじめとした公衆電話類。このカラー電話達、知らない間に廃止されていたらしい。などと本来はもっと昔の時代を懐かしむべき「レトロ」街だがそれより手前の実体験に基づくレトロを懐かしがってしまった。
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電気通信レトロ館。1924年の建築。 |
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懐かしい電話が並ぶ館内。 |
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倉庫などもいい味出しているものが多い |
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マリーナに並ぶヨットと関門橋。 |
関門人道トンネル
電気通信レトロ館まで来てしまうと関門人道トンネルまではすぐそこ。幼少の時ぼろぼろになるまで愛読した図鑑に関門海峡はトンネルで歩いて渡れるという事が記載されていた。それ以来、歩いて関門トンネルを渡るのが長年の夢だった。その長年の夢を実現すべくやってきたのである。遙か頭上にかかる関門橋の真下にある入り口からエレベータで地下へ。当たり前のことだがトンネルはただの通路である。景色が見れる橋と違っておもしろさはない。おまけにこの関門人道トンネルは長くて狭くて圧迫感がある。そこを我慢して歩き続けただけに、やっと山口県側の出口に出て長年の夢を実現したときは解放感や達成感があった。
あとは下関砲撃事件のレプリカ大砲の脇で海峡を通行する船を眺めながら、幕末の志士がどんな思いに攘夷に走ったのかなどについて思いを馳せて時間を調節、バスで下関駅に向かってSと合流した。
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関門橋。トンネルもいいけどここが歩いて渡れたらさぞ景色も良いだろうにと思う。 |
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関門人道トンネルの県境表示。 |
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